過日、書店の文庫棚で“統計学を拓いた異才たち(デイヴィッド・サルツブルグ著、日経ビジネス文庫) ”という本を見つけました1 。たまたま開いたページでピアソンという聞き知る名前を
過日、書店の文庫棚で“統計学を拓いた異才たち(デイヴィッド・サルツブルグ著、日経ビジネス文庫) ”という本を見つけました1 。たまたま開いたページでピアソンという聞き知る名前を
文久3年(1863)当時の長州藩といえば、攘夷思想の書生論で煮えたぎった藩に見えますが、どっこいこの藩はなかなかくせものでした。周布政之助、高杉晋作といった一級の人たちの中では
日本人は名数が好きですね。中でも、徳川御三家(尾張家、紀伊家、水戸家)しかり、日本三景(松島、天橋立、宮島)しかりの三の名数が一番多いのではないでしょうか。ところで、数ある名数
以前、海面を横たわるような道路上を車が走るテレビのCM映像がよく流れていたことを読者は覚えておられるでしょうか。あのシーンは、山口県・下関市の日本海側にある角島(つのしま)に架
明治初期、フランス語を通じて西欧学問を学ぼうとする時期がありました。明治6年(1873)、東京大学の前身である開成学校で“仏語諸芸学科”というのが英語コース学科、独語コース学科
筆者は昨年(2010年)、とうとう年金生活者の仲間入りをしました。その準備で、何度か京都市中京区の社会保険事務所に通いましたが、その都度、事務所の対面にある銅駝美術工芸高等学校
温度計の創作に当たっては、ガリレオ、ホイヘンスという物理学でおなじみの人たちが関係しているようですが、目盛りの二つの定点を水の凝固点と沸点というように最初に考案したのはオランダ
第2話で登場してもらった山辺丈夫が英国ロンドンで、保険学から転向して機械工学を学んでいた同時期の1877年(明治10)、やはり造船学を学ぶため同国北部にあるグラスゴー大学に留学
昨年(2008)創立150周年を記念して、慶応義塾大学が大阪キャンパスを開設した話題が記憶に新しいですね。ところで、明治の初めにも同じようなことがあったのを読者はご存じでしょう
20世紀物理界の巨匠の一人、ポール・A・M・ディラック(Dirac;1902-1984)は、父親の教育方針の影響のためか、長じても極端に無口で内気な性格になってしまいました。日