第8話 添役が注目される場面
日本人は名数が好きですね。中でも、徳川御三家(尾張家、紀伊家、水戸家)しかり、日本三景(松島、天橋立、宮島)しかりの三の名数が一番多いのではないでしょうか。ところで、数ある名数三での構成トリオをよくよく見てみると、一つが頭抜けた存在なため、他の二つがかすんでしまっていると感ずるものあり、三番目がどうしても出てこないものありと、いくつかのパターンがありますね。前者の一例が“三筆(空海、X、Y)”であり、後者の一例が“幕末の三舟(勝海舟、山岡鉄舟、Z)”あたりではないでしょうか。読者の皆さん、X、Y、Zに当たる人物名を即答できるでしょうか?ここでは、あえて解答を記しませんので、分からないという方は、手元の辞書などで調べてみてください。
さて、今度は、力学の方へ目を転じます。ここでもトリオについてです。ここで言うトリオは、勝手に組み合わせることはできません。空間軸に由来するトリオのことです。そして、今回のテーマは、上で言いました“幕末の三舟”タイプに類似するトリオでの目立たないZの話です。
弾性学を学習する際、必ず出てくるものに応力場での主応力があります。2次元弾性学で終った人は、ちょっと分かりにくいかもしれませんが、一般の3次元弾性学では、主応力に最大主応力、最小主応力、そしてこの両者の中間的存在である中間主応力の三つの主応力があります。
塑性学では、まるで団子3兄弟のように、三つの主応力がトリオで使われて式の展開が図られています。しかし実務の構造設計現場では、最大の引張応力値、最大の圧縮応力値を知りたいという観点から、最大・最小主応力が注目されることは多いのですが、残された中間主応力は置き去りにされる存在のように思われますが、どうでしょうか。
一方、応用力学には回転の力学のところで有名なトリオがあります。慣性モーメントのことです。物体に都合よく設定された3軸回りの慣性モーメントには、回転が最もし易い、最も回転しにくいにそれぞれ相当する、最小慣性モーメント、最大慣性モーメントがあります。そして、ここにも最後のトリオ構成員として中間慣性モーメントが存在します。ところが、一見目立たない、他の二つの添役のような中間慣性モーメントが、一躍主役を演ずるような話を、ある本で見つけました。昨年(2009年)、出版された“数学でわかる100のこと(青土社)、ジョン・D・バロウ著”がその本です。
この本の中の一話で、中間慣性モーメントに相当する回転軸回りの回転は不安定であることが鉄則である旨が紹介されています。他の2軸回りの回転は安定であるといいます。本書では、テニスラケットを材料に話が展開されていますが、ここでは、日本的に団扇を考えてみましょうか。図にある三つの回転軸のうち、Y 軸回りの回転慣性が中間慣性モーメントとなります。
確かに、ちょっと試すだけで、この軸回りの回転が不安定になることが容易に理解できます。団扇では空気抵抗が大きすぎて実験しにくいという方は、似たような形状の手鏡で実験してもいいかもしれません。まあ、何も回転させるため、放り上げるまでもなく、容易に結果が想像できますが。
そして、この不安定な回転が存在するゆえ、実に大問題が浮かび上がったことが、やはり上の本には紹介されています。宇宙ステーションのトラブルのため、ステーションを回転させる必要が生じ、その選択に最悪の選択をしたならば-すなわち中間慣性モーメントに抗した回転-人類的災難を被ったであろう、というエピソードが紹介されていました。詳しくは、書籍の方をお読みください。
中間慣性モーメントの脚光で追記しておきますと、この不安定さを逆に有利に利用する局面もあるようです。女子体操競技の平均台上の演技のときの回転業のことです。人間の体も見ようによってはテニスラケットや団扇の形状に似てなくもないですね。やはり、Y 軸回りの回転をすれば不安定になるので、それをうまく利用してひねりなどを入れて宙返りをすると、変化が出てすごい業に見えるそうです。
上に紹介した本に興味を持たれて、読者の中には購入しようかと思った方もおられるかもしれないので、最後に少し、この本のことを解説しておきます。
この本は、姉妹エッセイ“有限要素法・よもやま話”の第10話の“私が薦めるこの一冊”で紹介した、“数理のめがね(岩波書店)”にどこか似ています。ただし、今回の本は、一般向けを対象としているせいか、本文で引用している数式が天下りの公式的なものが多いです。また、著者の専門性から来るのか、はたまた著者の趣味からくるのか、確率論、統計論に立脚した話題が多いので、力学方面の話題を多く期待されていたら期待外れになりかねないことも記しておきます。
2010年12月記