FEMINGWAY 〜有限要素法解析など構造設計にまつわる数理エッセイ〜

第10話 私が薦めるこの一冊

「私淑する」という言葉がありますね。筆者が私淑した一人は、元東京大学物理学教授の坪井忠二先生でありました。そのきっかけは学生時代にふと手にした一冊の本でした。

その本とは岩波書店が出している“数理のめがね”という数理エッセイ集です。もともと、数学雑誌にコラム物として連載されたものが一冊の本にまとめられたものです。第一部の数学随筆と第二部の微分方程式雑記帳に分かれています。前者は身近な現象の本質を、数理的に解釈すればこうなるというような非常に興味深い読み物です。著者の数学的センスがふんだんに現れているエッセイでした。

後者は第一部に比べて数式が多く使用される内容ですが、2階微分方程式を学習した工科系の学生さんには是非、読んでいただきたい内容でもあります。地震学を専門とした著者だけに、振動現象で現れる微分方程式のあれこれを物理的観点から解釈されている面白い数理読み物です。

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このエッセイを通して筆者が坪井先生に感じたのは難しい問題を易しく解説できる人だということでした。こういう人はほんとうに頭が賢い人だと筆者は思います。後で知ったことですが、坪井先生は非常に数学に強い物理学者だったようです。

物理学者が数学に強いというのは当たり前のように思われるかもしれませんが、必ずしもそうではないこともあるのです。かのアインシュタインも、一般相対性理論に高度な数学であるリーマン幾何学を使用しているので、さぞ数学に強かったのであろうと誰しも想像しますが、実際はどうもそうではなかったらしいです。

アインシュタインはチューリッヒ連邦工科大学時代からの友人であり数学者でもあったグロスマンという人に、数学面の処理を依頼していたことのようです。これはノーベル賞受賞理由が相対性理論でなく光量子説であったこととともに、アインシュタイン物語が持つ意外な点の代表でもありますね。

閑話休題。さて、坪井忠二先生のことです。明治35年(1902)の生まれで、物故されてからでもずいぶん経つものですから、若い方はとんと名前を存じないかもしれませんが、有名な物理学者であり、わが国の地震学の泰斗でありました。

幕末の歴史物を読んでいますと、蘭学者の中に坪井信道、箕作秋坪といった知る人ぞ知る名前を見かけることがあります。坪井先生の両親を遡れば、この二人にたどりつくのです。日本には、幕末から明治にかけて、何組かの学者一族というものが存在していましたが、坪井先生もその一員だったのです。学派では寺田(寅彦)門下の一人でもありました。

一般の人には知られない存在かもしれませんが、岩波新書に“地震の話”という名著があります。

また、有名な物理参考書の“ファインマンの物理学”の第一巻力学篇の訳者としてその名を書店で見かける人もあるかと思います。

数学に強かった坪井先生、直感で1つ間違いを起こしてしまったことがあります。先ほど紹介しました“地震の話”の中にも出てきますが、断層を地震の原因でなく、地震の結果と判断してしまいました。もちろん、現在では、断層は原因というのが定説です。

冒頭の話に戻って、工学系の人、特に現役の学生さんには“数理のめがね”は是非、紹介したい一冊であります。なお、これには続刊があり日本評論社から出ています。また、第一部にある話題と語り口で、力学問題に対象を絞った、同じく岩波書店から“力学物語”という本が出版されています。この本も力学系の人間にはたいへん興味深い本であります。

2001年9月記

 

[追記]

執筆後、しばらくして読者の一人から知らされたのですが、ここで紹介した本は既に絶版になっているとのことでした。改めて、自分の年齢を感じずにはいられない出来事でした。書籍に興味を持たれた読者諸氏は古書店を当たってみてください。

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