第12話 小ネタ集
∇ 誕生物語
“有限要素法よもやま話”第19話で、微分演算子∇の生みの親がハミルトンであり、その記号の呼称を“ナブラ”と決めたのはマクスウェルだと紹介しました。ところが、マクスウェルが“ナブラ”と決めるきっかけを作ったもう一人の人物がいたのです。
1871年、英国ではその年の秋に大英学術協会会議がエジンバラで開催されることになりました。その時、参加したマクスウェルは、若い頃からの旧友テートとロバートソン・スミスという人物の3人でひとときを過ごしました。この時、スミスがΔをひっくり返した∇の形を見て、以前どこかの本で、古代アッシリアの楽器の形がこれであったことを覚えており、それを“ナブラ”と呼んでいたと言ったそうです。
鮟鱇も混成語
“有限要素法よもやま話”第41話で固有値の英語名Eigenvalueがドイツ語と英語の混成語であることを話しました。この混成語、意外なところにも登場します。魚の“鮟鱇(あんこう)”もそうだということをある本で知りました。
鮟の方は、中国でナマズの意味を持つ漢字ですが(元々は、サンショウウオのことだったそうです)、鱇は日本で作られた、いわゆる国字だそうです。ぼんやりと口をあけて、餌を待つ格好から太平無事な生き方が連想されて“安康”と名が付いたのが、後に鮟鱇になったそうです。すなわち、鮟鱇は、漢字と国字の混成語だったのです。面白いことに、この字、今では中国にも輸出されて、あちらでも同じ意味で使用されているらしいですよ。
5文字姓名はややこしい
“理系夜話”第12話で物理学者田中館愛橘の呼び方を田中(たなか)、館愛橘(だてあいきつ)と覚えてしまった筆者の頓珍漢ぶりを紹介しましたが、考えて見れば、漢字5文字を使う姓名の読み方は、性と名をどこで区切るのか、結構難しいですよね。
大久保利通、佐久間象山、長谷川等伯あるいは与謝野晶子といった、日常よく聞く姓名ならば、誰でも容易に名前を読むことはできますが、ちょっと見慣れない漢字の並びだと、なかなか読めないものです。御木本幸吉や、金田一京助、和井内貞行なんて、小学校の先生から最初に教えてもらっているからこそ読めるのではないでしょうか。
あの“東海道中膝栗毛”の著者、十返舎一九(じっぺんしゃ-いっく)なんて、“じっぺん-しゃいっく”と読まれる間違いもありますよね。そういえば、以前、新渡戸稲造が紙幣の顔に採用された際、彼の名を“しんとべいなぞう”と呼んでいた若い女の子がいました。
先日、大型人名事典のページを繰っていたら、極め付きのような難読姓名を発見しました。読者は“乙骨太郎乙(1842-1921)”という人をご存知でしょうか。幕末から明治にかけての英学者であり翻訳者だったそうです。政権を退いた徳川家が旧幕臣の教育のため起こした沼津兵学校の教授もしていました。この人の一族には、大きな人名事典には何人も掲載される人がいて、“海潮音”で知られる詩人上田敏も、乙骨太郎乙の孫だそうです。
ところで、乙骨太郎乙の読み方は、“おつこつ-たろうおつ”です。
第二微係数もあった
“理系夜話”第50話では、19世紀中頃、ヨーロッパの科学界でよく知られた物理の書物の共著者二人、ウィリアム・トムソン(後のケルビン卿)とピーター・テイトが、共に名前のスペルがTで始まることから、T&T’ と呼ばれていたことを紹介しました。ところが、第二微係数 T” の愛称でよばれた人物も同じ英国(アイルランド)にいたことを知りました。その名をティンダル(Tyndall:1820-1893)と言います。元々、土木技師、鉄道技師から出発した異色の物理学者ですが、エンジニアから研究者に転ずるべくよく勉強して、後、科学界に多くの貢献をしています。光学の面では光の散乱を扱った“ティンダル効果”というのが有名ですね。彼の先輩物学者、ファラデーの崇拝者だったそうです。事実、ファラデーの跡を継いで、王立協会の会長を務めています。
SNOB(スノブ)
過日、テレビで、“ワン、ツー、スリー/ラブハント作戦”という古い映画を観ていて、ある言葉を発見しました。監督がビリー・ワイルダーといえば、映画ファンならおおよその内容が想像つくと思いますが、やはりラブ・コメディーでした。
映画の中で、ジェームズ・キャグニー主演のコカ・コーラ社ドイツ支店長と社長令嬢との会話のやり取りが何度かあり、その一場面で、令嬢が自分の父親のことを言っているセリフに、「パパはスノブだ」というのがありました。もちろん、字幕で分かったのですよ、念のため。
映画の制作年が1961年ということですが、“スノブ”という言葉が字幕にストレートに出ていた訳ですが、この言葉、当時の日本人にそれで理解できるほど一般化していた言葉だったのでしょうか。いや、今の日本人の英語力でも、どうなのかと思うのは、筆者の無知ゆえなのでしょうか。
“理系夜話”第60話で、「エアリーがSNOBであった」と紹介しましたが、筆者もこの言葉をある本から知っていただけで、使用したのは、あの時が初めてでした。そんなことですから、映画の中で発見したときは驚きでした。
2011年4月記