FEMINGWAY 〜有限要素法解析など構造設計にまつわる数理エッセイ〜

第11話 足場を見せてはいけない

平成20年(2008)に93歳という高齢で亡くなられた伊藤清(1915-2008)という有名な数学者がいました。日本で金融工学という言葉がマスコミでもてはやされた頃、新聞紙上でときおりこの人の名を目にしたものです。伊藤清が創造した“確率微分方程式”なるものが、金融工学分野での理論式に応用できたことによる由縁です。もっとも、本人は、“金融工学の父”なんて言われたことには迷惑顔だったようですが。

2006年には、新しく設けられた数学界の大賞である“ガウス賞”の栄えある第1回目の受賞者になって、その名が広く知られるようになりましたが、大衆向けの本人の書き物が極めて少ないので、その人物像は一般人には知る由もありませんでした。それが、昨年(2010年)、“確率論と私(岩波書店)”というエッセイが出て少しは知ることが出来るようになりました。

この本を読んでみると、伊藤の数学観を少し垣間見ることができます。応用には全く関心がなく哲学的瞑想に耽るように純粋に数学を愛する数学者も多い中、伊藤は、数学が接触する他の科学分野との間の刺激を大事に思う数学者だったようです。その意味では、奇しくも彼が受けた賞に冠せられているカール・フリードヒ・ガウス(1777-1855)こそ、同傾向の大数学者だったのではないでしょうか。

 

ガウスは1807年、彼が30歳の時、ゲッチンゲンに新設された天文台に招聘されて以来、死を迎えるまで終生天文台長を勤めています。もちろん、天文台長に就くまでの彼の若い時期にも伝説的な数学発見が多くあったのですが、その数学は今でいう純粋数学の分野であり、中年以降は天文学、測地学、電磁気学の方面にも深く関わっており、それらの中から後世の人間が使う重要な数学が創始されているのです。

大数学者ガウスが長きに渡って測量業務に携わっていたなんて何だか不思議な感じもしますね。しかし、彼の天才はこういった実務にも携わっていても、業務遂行のみで終わらせるのではなく、その背景にある数学を求めているのです。統計でのガウス分布、最小二乗法、曲面の数学などは、彼の測量体験からの賜物なのです。

さて、筆者は昔、姉妹エッセイ“理系夜話”の第7話“オイラーとガウス”でガウスの数学者像を少し紹介しました。そこでは、彼の完全主義を言いましたが、これは、論争に巻き込まれて時間を割かれることを彼が極度に嫌ったためでした。ガウスはあまりにも時代を先行していて、彼の日記にとどめていた数学を公表すれば物議を醸すことをよく知っていたのです。非ユークリッド幾何学がその有名な事例なのですが、複素数もそのようだったのです。複素数の数学はガウスにとって既に自家薬籠中のものでしたが、彼の時代、複素数の幾何学的解釈はまだ公知されたものではなかったのです。

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ここでは、ガウスのもう一つの数学観を紹介してみたいと思います。ガウスは終始、「建物が完成したあかつきは、足場を見せてはいけない」と周りに言っていたそうです。この数学スタイルこそ、完全主義とともに彼の後輩数学者たちを悩ませた要因だったのです。思考プロセスが明かされないものですから、数学者がガウスの数学を理解するには、間に解説する数学者が必要だったみたいです。整数論がその端的な例のようです。ガウスから二世代後輩でやはり同国ドイツの一流の数学者であったクロネッカーの下の言がよく、この辺の情況を物語っています。

 

“整数論考究”における発表の仕方は、ガウスの仕事全般におけると同様にユークリッド的である。彼は定理を設定し、それを証明する。その際、彼をその結果に導いた考え方の手順のあらゆる痕跡を勤勉に抹殺する。彼の仕事が長い間理解されず、後世においてそれが十分な影響と評価を得るまでには、ルジューヌ・ディリクレの努力と研究が必要であったという事実は、ガウスのこのひとりよがりなやりかたに、その理由を求めなければならない。

(ガウスの生涯、ダニングトン著/銀林浩他訳、東京図書より引用)

 

上に出てきたディリクレの物語は、既に“有限要素法よもやま話”第46話“境界に出てくる数学者”で紹介していますので、そちらも御覧ください。

 

ガウスは1855年、78歳で亡くなっています。その当時では比較的長生きだったと言うべきでしょうか。日本の元号では安政二年で、日米和親条約が締結された年です。幕末動乱が始まった年でもありますが、勤王志士たちの間にはガウスと同時代を生きたフランスの英雄ナポレオンの名は知られていたようですが、ドイツの大天才の名は、当時の蘭学者には知られていたのでしょうか。

ガウスの一生は、父親という彼の進路を妨げる唯一の例外を除いて、神童といわれた幼児期から、その死を迎えるまで周りからその天才に対して尊敬と賞賛の声に包まれた比較的穏やかな数学者人生でした。たいていが挫折と不遇の時期がある、あるいは夭折のため天才が十分発揮できなかったという大数学者も多かった数学史の中でも、ガウスの存在は極めて珍しいものでした。

2011年3月記

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