FEMINGWAY 〜有限要素法解析など構造設計にまつわる数理エッセイ〜

第10話 統計学の大御所

過日、書店の文庫棚で“統計学を拓いた異才たち(デイヴィッド・サルツブルグ著、日経ビジネス文庫) ”という本を見つけました1 。たまたま開いたページでピアソンという聞き知る名前を目にしたものですから、つぎつぎページをめくってみると、ピアソンの名が随所に出てくるではありませんか。面白そうなので、早速買って帰り読んでみることにしました。

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筆者は、社会に出たてのころの一時期、橋梁の仕事で入社した会社で大気汚染の問題を担当するはめになり、何冊か統計学の参考書を買い込んできて勉強したことがあります。もちろん、拡散の偏微分方程式を直接数値解析するシミレーション法もあったでしょうが、当時のコンピュータ能力と掛けるコストを考えると、その採用は論外でした。代わって統計学を利用した分析的な方法が無難な道具だったのです。そんな訳で、付け焼刃のような知識でしたが、一応、χ(カイ)二乗分布とか、t検定とか、帰無仮説などの統計学の専門用語の名前ぐらいは知っていたものですから-その中身については、ほとんど忘れていますが(笑)- 上記の本も関心を誘ったという次第です。

本の著者は、あとがきの中で、「本書は数学的トレーニングを受けていない読者を対象にした…」と書いていますが、筆者の感想では、やはり統計学の本を一度も開いたことのない人にはどうだかなと感じます。基本的な統計用語の知識が皆無だと、読んでいても面白く無いと思いますが。

たしかに数学記号がどこにも使用されてはいないのですが、それがかえって分かりづらくするかも知れません。よく、一般人を対象にした理系分野の啓蒙書には、「数式を使わない×××」といった謳い文句がありますが、あれはどうでしょうかね。高校数学程度の範囲で理解できる数式なら、多少は挿入した方が言葉だけで説明するよりは理解しやすいと筆者は思うのですが。

さて、この本は、別に統計学そのものを説く本ではありません。19世紀から20世紀にかけて、統計革命といっていいくらいの統計学の進歩があり、その渦中での偉人たちの活躍、確執、論争といったことを紹介している内容なので、近代統計学の歴史を知るには格好の本です。偉人たちの中でも、統計革命のパイオニア的存在だったのがピアソンなのです。

ところで、読者はピアソンと聞いて、どんな人物かご存知でしょうか。カール・ピアソン(Karl Pearson;英1857-1936)は英国生まれの数学者、厳密に言えば、生物統計学者とみなされています。おそらく本エッセイの読者は、応用力学に関係する人が多いでしょうから、あまり知らないと言われる方が多いと想像します。“理系夜話”第46話で、ほんの少しだけ顔を出してもらっています。

この人はちょっと複雑な経歴を持った人物です。ケンブリッジ大学で学んだ数学者には間違いないのですが、卒業後、ドイツへ短期留学し、物理に始まり、歴史、文学、政治までと雑多と言っていいほどに各方面の知識を吸収しています。マルクスに傾倒したのもこの時期で、自分の元の名前CarlをKarlに変えてしまったのも、マルクスかぶれのせいだと言われています。ロンドンに戻ったときには、すでに政治学の博士号を取得しており、帰国後は弁護士の資格を取るという具合に、彼の20台前半の時期では、数学者としての振る舞いはほとんど現れていません。むしろ、社会主義者としてのピアソンの姿が特徴でした。

時間を少し戻しますが、ピアソンがケンブリッジ大学で数学を学んでいた当時、ケンブリッジにはトライポス試験という数学の優等生試験(“理系夜話“第46話参照)という伝統的な制度がありました。ピアソンもこの試験を受け、上位で通過しているようです。他の書物から知ったことなのですが、特筆すべきは、このときの審査員の4人の顔ぶれです。ストークス、マクスウェルにケイリー、トドハンターだったというわけではありませんか。なんと豪華なキャストではありませんか。理系分野に身を置く者にとっては、神様みたいな人たちが揃うという当時の英国の一風景についため息が出てしまいそうです。

1884年からは、ロンドンのユニバーサルシティカレッジに終生務めることになるのですが、最初の頃は、応用数学と力学の教授を務めています。トドハンターの遺稿を手直しして出版した、かの“弾性学の歴史”(同第46話参照)も実際はほとんどの記述がピアソンであったそうですが、その仕事もこの時期のことでしょうか。

1890年代にはいると、ピアソンは数理統計学にのめり込み始めます。そして、生物分野に統計学を適用することに興味を持ち、この分野の仕事が彼のライフワークとなり、結局これが、サイエンス分野の歴史で彼の名を揺るぎないものとしたのです。これには、同国のダーウィンの進化論から大きく影響を受けています。こういうのをダーウィニズムというそうですが、先のマルクスといい、ピアソンはわりと感化を受けやすいタイプだったみたいですね。

統計学を専門とした時期から、ピアソンの難しい性格が顔を出し始め、彼の死まで、統計学論争を繰り返すことになるのです。論争といえば、まだ聞こえはいいですが、最後には感情的な高ぶりを見せた喧嘩論争でもあったようです。ピアソンには、多くの弟子たちがいたのですが、見解の違いから、その弟子との論争もあったようです。

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ピアソンには、独善的なところがあり、硬くなまでの性格と相まって、自分の意見に従わない者を容赦なくシャトアウトしてしまっています。その代表例が、分散解析、実験計画で統計学分野に燦然と名を残すフィッシャー(Fisher;英1890-1962)との争いです。この大物二人が出会った最初のころは、別に問題はなかったのですが、ピアソンが創刊し、彼の死まで編集主宰が続けられた専門雑誌にフィッシャーが投稿した論文から亀裂が出始めました。論文内容に意見が合わない考えを見つけたピアソンは、その修正をフィッシャーに求めたことがあったそうです。このように、ピアソンは自分の意見に合わない論文はその雑誌に一切掲載しなかったようです。さて、修正を求められたフィッシャーは当然のごとく拒否してしまいます。怒ったフィッシャーはそれ以後、その雑誌への投稿は終生しなかったそうです。もっとも、フィッシャーがデビューしたころは、既にピアソンは大御所的存在だったので、どこの編集者もピアソンに気兼ねして、フィッシャー論文の掲載を渋ったようですが。

統計学といえば、確率論同様、決定論的サイエンスではないゆえか、論争の絶えない数学みたいです。ピアソンとフィッシャーも、そもそも統計データに対する哲学が違っているのですから、決着を見るはずがないですね。

フィッシャーはピアソンとは親子ほどの年齢差がありましたが、その彼も、年を経るにしたがい、ピアソン同様、論争の絶えない人物となっています。ピアソンの死後、それこそ、「死者に鞭打つ」ような喧嘩論争文を書いています。統計学に身を置く人は、よほど打たれ強い人でないと務まらないかもしれませんね。

それはそうと、統計学分野の偉人といえば、ピアソン、フィッシャーはもちろん、回帰分析の創始者ゴールトン、白衣の天使ナイチンゲールも言ってみれば統計学者ですし、あの経済学者ケインズもそうです。皆、英国生まれです。イギリスには何か統計学者を産み育てる土壌があったのでしょうか。

2011年2月記

  1. 本書は2006年日本経済新聞出版社より刊行された本が文庫化されたようです。 []

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