FEMINGWAY 〜有限要素法解析など構造設計にまつわる数理エッセイ〜

第46話 忘れ去られた数学者

ファーストネームがアイザックと聞けば、読者は誰を思い浮かべるでしょうか。誰しも、真っ先にアイザック・ニュートンは出てくるでしょう。その次はどうでしょうか。筆者は、ロシア生まれでアメリカの市民権を得た化学博士でSF 作家であり、その該博な科学知識でもって多くの科学エッセイを書いたアイザック・アシモフを思い浮かべます。そして、3番目の人がここで紹介したい数学者アイザック・トドハンターであります。

トドハンター(Isaac Todhunter;英1820-1884)と言われても、日本の数学史に関心を持っている人でもない限り、誰しもその名を聞いたことはないかもしれませんね。数学者とはいうものの研究者ではなく教育者であったから、トドハンターの定理とかトドハンターの公式といった類のものを聞かないので、現在の日本では完全に忘れ去られている名でしょう。しかし、実は明治時代の日本で彼は一番有名な数学者だったのですよ。その理由については後で紹介します。

トドハンターはイギリスの片田舎で生まれています。幼少の頃に父親を亡くしたため家族は貧しい生活を強いられました。長じて、ロンドン大学の夜学に通うことになります。そこで有名な数学者、ド・モルガンやシルベスター(第24話参照)に教えを受けています。後には、ケンブリッジのセント・ジョンズ・カレッジに入学しています。

ケンブリッジの伝統として、数学の卒業試験制度にトライポス試験というのがありました。その試験の上位合格者はラングラーと呼ばれ名声を得たようです。特にトップの人はシニアラングラーと呼ばれました。さらに引き続き、この試験の上位者だけを対象にしたスミス賞という試験も実施され、このトップ得点者はスミスズ・プライズマンと呼ばれたそうです。

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トドハンターは卒業のとき、シニアラングラーとスミスズ・プライズマンとなっています。ずいぶんと優秀な頭脳だったんですね。

ケンブリッジの各カレッジには大学とは直接関係ないプライベート・チューターという数学のコーチ役がいて、ラングラー獲得を目指す学生の家庭教師を務めていたそうです。ケンブリッジのプライベート・チューター列伝の中でも、ラウス(Routh;英1831-1907)という、自身も有名な数学者となりながら多くのラングラーを生み出した名チューターがいました。学生時代、同窓生だったかのマクスウェルがとても彼にはかなわないと感じて別のカレッジへ移ったという人物です。このラウスに数学を教えていた先生の一人がトドハンターでありました。

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さらに因縁は続きます。ラウスがプライベート・チューターをしていた学生の一人にカール・ピアソン(K. Pearson;英1857-1936)という人がいました。この人は後に、統計分野で貢献する数学者となりますが(たしかに、統計の数学書にはその名がありましたね)、若いころは力学や応用数学を専門としていた時代があります。

この当時に、ラウスのお声がかりで、トドハンターの遺稿である“History of Elasticity(弾性学の歴史)”を追記・編集することになったのがピアソンでありました。これが、1886年に出版された、ガリレイからケルヴィンまでを対象とした“A History of the Theory of Elasticity and of the Strength of Materials(弾性学と材料力学の歴史)”であります。

この本を日本で入手するのはもはや不可能に近く、大学の図書館でしか閲覧できないかと思いますが、筆者は幸運にもちょっとした縁で何年か前に入手することができました。手にしたときは興味津々で数ページを読み始めてみましたが、なにしろ19世紀の書物です。しかも、キングイングリッシュです。大学受験時の難解な英文解読を思い出すような文章でした。筆者は今、重厚な3分冊をとても読める環境にはありません。絶海の孤島生活を強いられる時には是非、持参しようと思っています(笑)。

ところで、ピアソンには今の日本でいう高校、大学時代の同窓生に日本から来ていた一人の青年がいました。二度も英国に留学していた菊池大麓です(第15話、第37話参照)。菊池はピアソンとは親友の仲となりますが、トドハンターにも直接、教えを受けていたそうです。菊池は帰国後、日本で最初の大学数学教師となる人です。当然の成り行きとして、トドハンターの数学を日本に輸入することになります。

トドハンターはたくさんの数学書を出版しています。それらの多くが日本に輸入されて、多くの原書もしくは訳書が明治日本の数学教育の教科書として使われた次第であります。明治時代を通じて一番よく読まれた数学書の著者がトドハンターだったわけであります。

ただ、彼は、教育においてもユークリッド数学を堅守するような超保守派だったそうで、その後の新しい数学運動の標的にされてしまいました。日本の数学界が遅れた一因も、トドハンターの数学にあると批判した人もいたぐらいです。

トドハンターは教育者らしく、数学関係の歴史書もよく書いています。上の“弾性学の歴史”以外にも“変分学の歴史”あり、“引力論の歴史”ありという具合です。

そして、パスカルからラプラスまでを対象とした、“確率論の歴史”というこの分野にしては珍しい本も出しています。本書は邦訳本もあり、今も、街中の書店にも陳列されていますので、現在のわれわれが容易に彼の痕跡を知ることができる唯一の本かもしれませんね。

2007年5月記

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