第26話 軟体の力学
構造力学は、伝統的に金属類のような硬い材料の工業製品の分野での力学であるから、当然、有限要素法もその分野での利用がほとんどであった。
細長いホースや電線のような構造または、テント、ドームの薄い膜構造ではイメージとして柔に見えるが、これらは1つの代表的寸法が他とは際立った違いのサイズをもつという幾何学的特質からくる見かけ上の軟らかさである。これらも、やはり固体力学に適用する有限要素法でもって解析することができる。
近年は、有限要素法が生体分野にも進出し、活躍しているようで“生体力学”なんて言葉も登場している。生体分野でも当初は、歯とか骨と言った硬い構造を対象としていたが、最近は血管、心臓といった軟体構造にまで適用されているようだ。
歪エネルギーのような固体力学から生まれた概念が軟体構造にまでうまくいくのかどうかは興味深いところである。一説には、軟体構造では自由表面エネルギー(例えば表面張力)の概念も考慮する必要があるとのことである。
それはさておき、軟体構造の解析もここまで来たかという印象を受けたのが、平林純氏の本1 からである。本書は遊びのサイエンスをテーマにしたものであるが、なんと、女性のオッパイに有限要素法を適用して、その張り具合を論じているのである(もっともブラジャーメーカーでは真面目に有限要素法を使用しているかもしれないが)。もちろん、遊びだから、単純な弾性体として解析しているだけであるが。傑作と言っていいのかどうか、年齢依存のヤング率も登場する。ヤング率は若い(YOUNG)ときに高く、年齢を重ねるとともに値が低下する(すなわち、垂れる)という珍説まである。
このままだと、地下に眠る英国の天才に叱られそうなので、ヤングのことを少し紹介して今回の締めとしたい。
ヤング(Young;英1773-1829)といえば、われわれ応用力学に携わる人間の間では、ポアソンと並んで超有名人であるが、彼は万能型の天才であり、一般にはヤング率2 以外のことでよく知られている人物である。
医者であり、物理学者であり、また、考古学者でもあり、十代の終わりまでには10カ国以上の言語を理解するという語学の天才でもあった。医者を兼ねた物理学者らしく、人間の感覚器官に関係する音や光の現象に興味を持ち、特に光学の方面では干渉や回折実験から光の波動説を唱えたことはつとに有名である。さらに、光が横波であることはヤングが初めて唱えたらしい。当時、大ニュートン先生の唱えた光の粒子説が金科玉条であった英国であるから、ヤングの意見は相当、顰蹙を買ったらしい。
多才なヤングらしく、彼にはもう1つ大きな出来事があった。ナポレオンのエジプト遠征隊が持ち帰ったとされる有名な“ロゼッタストーン”の解読にもヤングは貢献しているのである。これなどは言語の天才であった彼の面目躍如たる活躍である。
万能の天才であったヤングにも、1つの欠陥があった。このことが、彼の活躍のわりには同時代からは注目されなかった原因みたいである。医者を開業しても全く流行らず、デービー、ファラデーが名講師として評判をあげた王立研究所での講師を一時期務めたこともあるが、講義内容が難解過ぎて聴衆者には全く不評であった。また、彼の著書は内容の質の高さに反して表現のまずさが多くの人達に指摘されている。要するに、周りとのコミュニケーションのとりかたという点の才能に欠けていたようである。
2004年4月 記