FEMINGWAY 〜有限要素法解析など構造設計にまつわる数理エッセイ〜

第27話 フランスの知恵子さん

高校時代の英語の授業中、博識なる先生が、哲学を意味する“Philosophy”という単語の意義を解説してくれた。Sophyは“知”を意味し、Philo は“愛”を意味すると。だから、ソフィア・ローレン(若い読者は知らないかもしれないが、イタリアの往年の大女優である)は日本でいえば知恵子だと言ったとき、教室内がどっとわいたことを今も鮮明に覚えている。

今回は、Philosophy の言葉全体がぴったり当てはまる、フランス革命時に生きた一人の知恵子さんの話である。ソフィー・ジェルマン(Sophie Germain;仏1776-1831)のことを紹介する。

一旦、話は変わる。

有限要素法でよく使用される要素の1つである板要素は、良性な要素剛性マトリックスを開発することは大変難しいものであることを既に第1話で紹介した。いまだ、完璧な要素というものは開発されていないのが実情である。

一方、板要素を利用するユーザ側を見ても、適用限界を分からずに使用したり、間違った応力評価の仕方をしていることが散見される。なかなか厄介な板要素であるが、基礎となる板理論の弾性学もまた、なかなか苦難の歴史を持っていたのである。

時は19世紀初頭のフランス、数理学者の間では、音響学の観点から弾性体表面の動きが注目されていた。今なら、固有振動解析の結果、得られる振動モードをカラーコンター図で描くと、鮮明に見つけられる節と腹の位置を、砂で覆った板を振動させた実験で確かめていた。この実験にいたく感心した皇帝ナポレオンの命で、板の振動理論をテーマとした懸賞論文が募集された。

27-a

それにしても、ナポレオンはほんとうに科学や数学が好きな御仁だったようである。三角形の幾何学には“ナポレオンの定理”というものまであるのを読者はご存知だろうか。

さて、当時、1次元の棒構造の振動理論は既に知られていたが、2つの曲率を考慮する必要がある板の理論は、なかなか厄介な問題であることが関係者の間では予想されており、誰もがこの問題を避けていたようである。結局、懸賞論文に応募したのがただ一人の女性であり、それがジェルマンであった。

ただし、ジェルマンの場合、素人の怖さ知らずの面があったようで、審査員の一人であったラグランジュに間違いを指摘され、1回目は不合格となった。その後、審査期限の延長に伴い、解析面でのトレーニングを受けていないジェルマンであるため充分な物理的説明なしで二度、三度と論文を提出していった。数学的には問題点を残したままの論文であったが、結局は審査側の方も根負けしたのか、ジェルマンに賞(1㎏の金メダル)を授与する結果となる。努力賞というところか。

ジェルマンは子供のころから非常な勉強家であった。女子に学問は必要ないといわれた時代、あまりの勉学振りを心配したジェルマンの両親は、彼女の寝る前に部屋から明かりと暖房を取り上げた。それでも彼女は親の目を盗んで書物を読んでいたという。13歳の時、アルキメデスの物語を読み、これがきっかけで数学者を目指すことになる。その有名なアルキメデスの死の場面が後年の彼女の人生にかかわってくるとは、その時のジェルマンには知る由もなかったであろう。

19世紀初頭のこと、高等教育機関には女子が入学できないため、ジェルマンは一人の男子学生の名前を借りてラグランジュ等に論文を送っていたという。その時の名が“ル・ブラン”である。

ガウスが出した整数論の本を読んで感動し、数論の研究も始めるのであるが、驚くことに有名な“フェルマー予想”にも挑戦している。当時としてはこの予想の証明範囲をかなり縮めた貢献までしているのである。1995年、アンドリュー・ワイルズによって全面解決したフェルマー予想の苦難の歴史を記した書物にはたいてい、ジェルマンのためのページが割かれているはずである。

ところで、ジェルマンには面白いエピソードがある。彼女はル・ブランの名で大数学者ガウスと長く文通をしているのである。女性だとガウスに無視されると懸念し、あえて男子名で手紙を出したのである。ガウスはある事件が起こるまで文通相手が女性であることを知らなかったのである。

仏独戦争でフランスがドイツを侵略した際、アルキメデスの最期の場面が頭をよぎったジェルマンは、ガウスの身を心配して知人の将軍に助けを求めたのである。それがきっかけで、ル・ブランなる人物が女性であることをガウスは知った。それでもガウスは相手の見識の深さを認めており、一度も会ったことがないル・ブラン氏にゲッチンゲンの名誉博士号を贈る推薦をしたという。

残念ながら、この名誉博士号は成就しなかった。贈与前にジェルマンは亡くなってしまったのである。ジェルマンはガウスの1つ上の年齢であった。

2004年6月 記

Advertisement

コメントを残す

ページ上部へ