第13話 FORTRAN 情話
筆者が初めてコンピュータを使用した時の言語は Alogol(アルゴル)であった。Alogolと言っても若い方はとんとご存じないと思うが、Pascal の源流だと言えば、だいたい想像がつくだろうか。昔は通産省実施の情報処理試験の選択言語にもあったほどだから、一時期はそれなりの勢力を持っていたのである。
筆者は、もうすっかり Alogol のことを忘れてしまったが、欧州の学者達が開発しただけあって、かなり論理的な言語であったように思う。その一方で I/O 処理には弱かったと記憶している。
その後、FORTRAN に鞍替えしたが、その時の FORTRAN の印象は、なんと猥雑な言語かと思ったことである。形式が美しくないのである。スタート点で悪印象であったため、現在に至るまで随分長い付き合いをすることになろうとは、その時は予想だにしなかった。今では腐れ縁の関係である。
コンピュータ草創期の言語であったこと、また、大砲の弾道計算でせかされていたためなのだろうか、やっつけ仕事で出来上がったような言語が FORTRAN である。いろいろ版を重ねて、現在では極めて C 言語に近い FORTRAN まで出来ているが、情報処理系の人に言わせれば、もはや、お呼びでない言語という。
そのうち消滅する運命にあると言い続けられながらも、しぶとく生きつづけているFORTRAN である。雑草のような生命力には理由がないわけではない。歴史が深いだけに膨大な資産が蓄積されていることと(われらが有限要素法プログラムも FORTRAN で書かれているものが多い)、いまだ工学系の学生たちは教育機関でこの言語を教えられていることが多いのである。つまり、利用人口が減らないのである。
工学系の人たち(もちろん情報系を除いて)に FORTRAN が受け入れられるというのは、つまり、それが気楽に使用できる数値解析言語だからである(昔と違って今ではMATHEMATICA のような便利なツールもあるが)。一方、他の言語は“しくみ”を作るための言語である。ここが両者の大きな相違点である。
ところで、合理性から言えば C 言語に吸収統合されてしまってもいい FORTRAN のような存在は、世の中には結構存在するものである。筆者は FORTRAN のことを思う時、いつも2つのことを連想してしまう。1つは日本の鉄道軌道のことであり、もう1つは電気の周波数のことである。
明治初期、日本で初めて敷設された鉄道レールは英国から輸入したものだった。しかも、それは当時の英国植民地オーストラリアにあった中古品であったと何かの本で読んだ記憶がある。これが、今も全国に張り巡らされた狭軌レールの源流である。新幹線が登場した時に話題になった広軌道のレールとの食い違いは今も禍根を残している。
一方、電気の方は、東京の電燈会社が発電機をドイツから輸入したのに対し、西日本の各社はアメリカから輸入してしまった。これが、今に残る東日本50ヘルツ、西日本60ヘルツという周波数の違いの源である。
インフラ技術の世界では初期の技術が後々まで影響を残すものである。今では少数民族の言語となった FORTRAN、これを考えるとまだまだ長生きするということか。
2001年10月 記