第9話 厄介な材料特性
等方性の弾性材料に限って言えば、弾性定数は2つあり、そのうちの1つがフランスの数学者、物理学者であるポアソン(Poisson;仏1781-1840)の名が冠せられたポアソン比である。
ポアソンという名前に関しては、面白いことに(仏語に堪能な方には面白くもないだろうが)仏語の一般用語では“魚”を意味するそうである。筆者は、これをその昔、大学受験生の間で“ヤノケン”の愛称で親しまれた数学者、故矢野健太郎さんの数学エッセイ集で教えてもらった。団塊の世代には懐かしい名前が出たでしょう。
ところで、理系分野に進んだ筆者が昔から持っていた疑問がある。科学関係の書籍の中に、日本語の発音で“ポア”で始まるフランスの有名な数学者、科学者の人名を散見することである。ついポアソンと間違いそうな、同時代を生きたポアンソ(Poisot)がいれば、流体力学のポアズーユ(Poiseuille)、万能の大天才ポアンカレ(Poincare)と。語源的に“ポア”は何を意味するのだろうか。数学者ポンスレー(Poncelet)にある“ポン(Pon)”だと、橋を意味するぐらいは知っているのだが、誰か仏語に詳しい方がおられたら、どうかご教授願えないだろうか。
さて、前置きが長くなったが、ポアソン比(ν)のことである。無次元量の値で0.0~0.5という比較的狭い範囲にあるが、数値計算時には厄介なことが起こる材料がある。コルクのように ν=0.0という極端値もあれば、もう一方の極端値 ν=0.5は非圧縮性材料(水がほとんどそうである)が持つ値である。構造材料でよく使用される材料では ν=0.2~0.3が多い。一番の代表例である鋼は0.3と設定されることが多い。
厄介な材料というのは、非圧縮性材料もしくはほとんど非圧縮性という材料の場合である。後者の代表例はゴム(ν=0.49)である。ゴムはゴム弾性と呼ばれるぐらい独特な材料でレオロジー学では“エントロピー弾性”とも呼ばれている。
弾性学では通常、歪みを応力の関数として表現する。平面歪み問題を例にとれば、よく知られた次の式のようになる。
この段階では ν=0.5としても別段、問題が表面化しないように見える。一方、(変位型の)有限要素法ではその都合上、応力を歪みの関数で表現する。その式は上の行列部の逆行列を取ればよい。結果は下の式となる。この式を見れば ν=0.5では応力-歪み式が破綻することは一目瞭然である。
有限要素法を使って非圧縮性材料を扱おうとする人の中には、簡易的に処理する目的で、ν=0.499というような手段で逃れようとする人がいるが、こんな安直法では、うまくいかないことを覚悟しなければならない。非圧縮性材料用に特別に開発された要素タイプを使うか、非圧縮性の条件を拘束条件として組み込んだ変分問題をラグランジュの未定乗数法を使って定式化した方法が必要になってくる。
ところで、今までは初めから非圧縮性を示す材料の話であったが、変形途中で非圧縮性が表面化するケースもある。軟鋼など
の弾塑性解析がそうである。明確な降伏値を持つ材料では降伏後、材料はせん断による変形(俗に流れるという)が卓越し、体積は一定を保つ。一般に、弾性材料の変形は体積が膨張・収縮する変形と体積一定のせん断変形の2つで構成される。塑性域では後者が卓越するのである。
ところが、である。材料にはいろいろあって、せん断変形によっても体積が膨張するものもあるのである。粒状物質の材料がそうである。地盤材料もまたしかり。この現象は流体力学でのレイノルズ数で有名な英国の物理学者レイノルズ(Reynolds;英1842-1912)が1885年に発見したもので、“ダイラタンシー(Dilatancy)”と呼ばれている。
有限要素法で地盤解析をする場合、簡略化のためダイラタンシーを無視することも多いが、近似度を上げた地盤挙動を扱うにはダイラタンシーは無視できない。
ダイラタンシーの話をもう少し続ける。実はこの現象、粒状物質だけの現象ではなく、一般の弾性材料にも起こっていると予想した人物がいた。古典物理の世界では最後の大御所であったケルヴィン(Kelvin;英1824-1907)である。彼の名は、高校物理でも出てくる絶対温度の単位で使用される“K”は Kelvin の K であることで、ご存知の方も多いであろう。現代物理につながる新しい物理に携わり始めた、後のノーベル賞級の新鋭物理学者たちもこの人の前で発表するのには気を遣ったという。
たしかに、ケルヴィンが予想したとおり、一般の弾性材料にもダイラタンシーは起こっているらしい。ただ、せん断応力の二乗に比例するほどの小さな量のため、2次現象として古典的弾性学では無視されているわけだ。
げに、材料特性は一筋縄ではいかない代物なのである。
2001年3月 記