FEMINGWAY 〜有限要素法解析など構造設計にまつわる数理エッセイ〜

第7話 ベクトルとテンソル

今回はベクトルとテンソルの話である。ベクトルと言えば、筆者ら団塊の世代が高校時代を送っていたころ、順列・確率、複素数とともに新しい数学というスローガンで高校数学の学習内容に加えられた覚えがある。新しい内容だから、先生自身からして勉強する必要があり、年配の数学教師の中には教えられない先生もいたので、筆者のいた高校では途中で数学担当の先生が交代したこともあった。

新しいといっても、ベクトルは流体力学や電磁気学の数学的道具として生まれたものであり、素朴なベクトル概念は、ベルヌーイ一族やオイラーが活躍していた18世紀には既に登場していたものではないだろうか*。新しいというのは、従来の高校数学の伝統的立場で言ったに過ぎない。

* 大きさと同時に方向を表す幾何的なベクトル概念は古くからあったが、回転、発散というような数学量を定義する、いわゆるベクトル解析という分野の誕生は意外に遅く、19世紀後半になってからである。

一方、高校数学には入っていないと思う(入っていたら、ご免なさい)テンソル(Tensor)は、“引張り”を表す用語“Tension”を語源として持つように弾性学のための道具として生まれたものである。だから、19世紀の物理学分野では必須道具であった。両者とも実用面から生まれた典型的な応用数学の一分野である。

いま、ある物理量があったとしよう。それをある座標系で眺めた時は X であったものが、別の座標系で見つめると X’ となったとしよう。ただし、どう座標系が変化しようが物理量そのものは変化しない。参照する座標系での成分が変化するだけである。ここで言っているのは、いわゆる、座標変換の問題である。ここで、座標変換マトリックスを T としたとき、X’=TX と振る舞うものをベクトルといい、X’=TtXT のように振る舞うものをテンソルと呼ぶ(TtT の転置マトリックス)。

味も素っ気もないが、これがベクトルとテンソルの古典的定義法の一つなのである。ベクトルの方は高校数学で習った2次元の新旧座標変換の公式でお馴染みのはずである。あの公式では T は次ページの内容であり、言い方を換えれば、位置ベクトルの成分の変化を見ているわけである。

図7‒1 座標系の回転

図7‒1 座標系の回転

位置ベクトル以外のベクトルなる物理量には力、変位、速度、加速度と一般の人たちにとっても身近なものが多い。しかも、物理的な意味では大きさと方向(向きも含めて)だけで決まる物理量がベクトルということで割りと分りやすいと思われているであろう。

しかし、それは参照される座標系がデカルト座標系だからである。斜交座標系や曲線座標系となってくると、同じベクトルでも座標成分の取り方で反変ベクトル、共変ベクトルといった概念が登場してくる。このあたりになってくると、理解しやすいベクトルという思いも怪しくなってくる。そして、この辺からベクトル解析はテンソル解析へと繋がっていくものである。

図7‒2 2つのベクトルで決まる2階テンソル

図7‒2 2つのベクトルで決まる2階テンソル

ベクトルが大きさと方向だけで決まるのに対して、さらに、そのベクトルが作用する面も考慮しなければ決まらない物理量がテンソルである。これがテンソルの物理的な説明である。先の変換式で分かるとおり、ベクトルの変換式が方向余弦の1次式になるのに対して、テンソルは方向余弦の2次式となる。これは作用面の法線ベクトルの方向余弦も関係してくる結果である。

念のために言っておくと、ここで言っているテンソルは工学問題で頻発する2階のテンソルのことである(ベクトルを1階のテンソル、スカラーを0階のテンソルと呼ぶこともある)。さらに注意する必要があるのは工学系の分野では普段、2階のテンソルだけを扱うので、テンソルの表現が行列表現でき、テンソルは行列だと勘違いしてしまっている人がいることである。2階テンソルがたまたま行列表現できるだけのことである。

数学者はいくらでも多次元空間を作り上げ、高階のテンソルも存在するのである。アインシュタインの一般相対性理論もドイツの大数学者リーマンが作り上げたリーマン幾何学をベースに4階テンソルという道具を駆使して編み出したと聞いている。

アインシュタインという名が出たので、ついでに言っておくと、われわれ構造工学系の人間は古典的なニュートン力学の世界を対象にしているため、仕事の中で20世紀物理界のスーパースター・アインシュタインの名を使用することは皆無に近い。ただ、筆者の知る限り、彼の名が冠せられた専門用語を使う場面が1つだけある。それがテンソル解析で使用されている“アインシュタイン規約”である。これはテンソル式に出てくる添字の解釈ルールである。これにより合計するという Σ 記号が省略される。

閑話休題。テンソルの具体例としては、何と言っても応力であろう。歪みもそうである。だからと言って、応力、歪みを理解するのにテンソル学のマスターが絶対必要というわけではない。数ある弾性学の教科書の中には終始一貫、ベクトル的表現で弾性問題を扱っているものもある。下に紹介している書籍が好例である。

『基礎機械工学全書2 弾性学”』(前澤成一郎著、1970年森北出版発行)
注)この書物はロシアの弾性学の書籍からの邦訳となっている。

しかし、深遠なる弾性学の原理やシェル理論を熟知しようとすると、特に非線形の領域まで入るときはテンソルを自家薬籠中のものとする必要があるであろう。そのテンソルをものにするには Tijkεijk のような表現、すなわち、添字表現に慣れる必要がある。正直言って、これは工学系の人間にとって、なかなか厄介なものである。筆者など今にいたるまで挑戦と挫折の連続であった。結局、応力、歪みのようにせいぜい2階テンソルで済むことをいいことにベクトル的表現、行列表現に頼ってしまうのである。

現代の学生気質として、根気のいる応用力学などは敬遠される学問らしいが、もし、応用力学を専門にやっていこうと思っている殊勝な学生さんがいたら、若いうちに添字表現のテンソル解析に慣れておくことを是非お勧めする。

2000年12月 記

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