FEMINGWAY 〜有限要素法解析など構造設計にまつわる数理エッセイ〜

第86話 ベクトル余話

姉妹エッセイ“理系らち外話”第8話で紹介した京都市の古本市、毎年最初のものが5月のゴールデンウィーク中に開催されるので、今年(2013年)も行ってきた。あちこち覗いているうちに、ふとある本の背表紙のタイトルに目が止まった。“変形体の力学”とあるので、このジャンルを生業としてきた筆者には、どうしても手にとってページを繰らないわけにはいかない。

何ページかめくっていると、なかなか読みやすいし、興味深い話題が散りばめられていて、つい立ち読みしてしまった。こういう説明の仕方があるのか、と感心したページがあったものだから、買って帰ろうかと思って値段を見ると定価の3倍近くもする高価本であった。断腸の思いで書棚に戻してしまった(笑)。
やはり、立ち読みでは納得できる読書はできないので、帰宅後、図書館にあるかどうかインターネットで調べてみたところ、幸い大阪の図書館にあったので、わざわざ大阪まで出向いて借り出してきた次第である。

この本は、著者がドイツの物理学者ゾンマーフェルトで、“理論物理講座”というシリーズの中の第2巻だったのである(もちろん訳本)。シリーズは、“力学”編に始まり、“物理数学”編で終わる全6巻の物理書であった。彼がミュンヘン大学で教鞭を取っていたときの物理の入門コースの講義資料がベースになっているようだ。序文を読むと、ドイツでの初版刊行が1942年のようで、教育上ゾンマーフェルトが影響を受けた人物としてレントゲンとF.クラインの二人の名が挙がっているのには歴史を感じたものだ。

ゾンマーフェルトといえば、1868年の生まれで、日本でいえば明治維新の年の生まれの人だから、83歳で亡くなる(1951)、10年ほど前に出版した本のようだ。随分古いと思われるかもしれないが、第2巻を見る限りそんなことはない。邦訳版は1960年代に出版され、その後何回も改定版が出ていたようなのだが、今では絶版状態である。現在、書店の書棚に並んでいる“ファインマンの物理”全5巻の先駆をなしていた本、といってもいいのではないだろうか。

筆者は、大学院生の時代、この手の書籍は結構覗いていたのだが、迂闊にもこの本の存在は知らなかった。思うに、図書館で背表紙ぐらいは見ていたはずだ。おそらく、ゾンマーフェルトという名に恐れをなして、敬遠していたと想像する。有名な原子物理学の大家が記載する物理書などには、工学者にはお呼びでない、と勝手に思っていたのだと思う。

 

さて、前置きが長くなってしまったが、実は今回の話題、上の書物の中で記載されていた興味深い解説文の紹介にある。それは、ベクトルのある話題である。

物理寄りのベクトルを説く数学書では、よく“極性ベクトル”、“軸性ベクトル”の説明がなされている。要素が単なる数字である数ベクトルを扱う数学では、この両者の区別は何ほどの意味も持たないので、特に記載していないことが多いと感ずる。

この両ベクトルのことを忘れられている読者のために、まず、さわりだけ説明しておく。極性ベクトルの方は、力ベクトル、変位ベクトルとわれわれが高校時代から慣れ親しんでいる通常のベクトルのことである。問題は、軸性ベクトルの方で、こちらは座標変換によっては、ベクトルの方向が変化してしまうのだ。ただし、通常の座標軸の回転では変化せず、鏡映変換や座標軸の反転を実施した場合にベクトルの方向が逆転してしまうベクトルのことなのだ。下図を見ていただきたい。これは、鉛直軸を上から見て反時計回りに回転した様子が鏡の向こうでは逆の時計回りになる様子を示している。

86-a

だから、物理によく出てくる回転ベクトルは、みな軸性ベクトルということになる。回転と密接な関係にあるベクトルの外積は全て軸性ベクトルとなる。ところで、ベクトルというのは、そもそも座標軸の変化に関して、成分は変化するものの、実体そのものは不変、という定義があったはず。鏡映、反転では、ベクトルの定義に合わない(といっても符号が変わるだけなのだが)量を本物のベクトルと区別して、わざわざ軸性ベクトルと呼んでいるのである。

極性ベクトル、軸性ベクトルでは、どちらがどちら、ということになりかねないので、前者を従来通りベクトル、後者をベクトルもどきということで“擬ベクトル”と呼ぶこともある。この方が、スッキリすると思うのだが、ベクトル書では、極性、軸性の解説が多いようだ。

これで軸性ベクトルの意味を分かっていただけたと思うので、次に本題に入る。ゾンマーフェルトの本では、実に興味深い解説文があるので、それを紹介したい。

回転の数学的表現である回転ベクトルは本来、軸性ベクトルなのですが、座標変換が通常の回転である場合、極性ベクトルとして扱ってよい。そして、このように軸性ベクトルを極性ベクトルで表すことができるのは、3次元空間だけである、というものだ。さらに、極性ベクトルの成分数は属する空間の次元数nに等しく、軸性ベクトルのそれは次の量になるという。

86-b

νの由来は、実は軸性ベクトルがテンソルの立場から言えば反対称テンソルである、という別の顔を持っている事実を知らなければ理解できないものなので、少しこれを概説しておく。2階反対称テンソルが(3×3)の反対称マトリックス表示できることで説明する。

いま、成分が( θx’ θy’ θz)である回転ベクトル(もちろん軸性ベクトル)Rを考えると、Rは、テンソルの観点からは、任意のベクトルUに対して次の2階反対称テンソルAと同じ作用素であることが知られている1

86-c

νは、マトリックス表示のAで、非対角項の数(の半数)を意味している(この場合はn=3)。一般には、n個の空間から二つの添字i , j を取ってくるのだが、その組み合わせのうち、 i≠j である組み合わせ数の半数を表わす。

そして、ν=n となるのは、n=3の場合に限る、と言っているのである。
実際、nに任意の正数を代入すれば分かる通り、唯一n=3のときだけ両者が一致するが、これはいわば偶然の出来事とも断定している。

この解説には、目から鱗が落ちる、というのか、全く感動ものだ。筆者は、こんな解説を今まで見たことがない。古い本で、新鮮なものを見た感じである。著者の洞察力には、感服するばかりである。ゾンマーフェルトは、全ての物理を語ることができた万能型の物理学者の最後の一人、とも言われていたというが、まったくもってうなずける話である。

 

ここまで書けば、本エッセイ読者の中心であると推測する構造解析者には、心配なさる方も出てくるかもしれない。今まで、軸性ベクトルなんて意識もしたことがなかったと。たぶん、ほとんどの読者はそうだと推測する。実はそれで実害無しなのである。

弾性体の変形を扱う人には、軸性ベクトルを意識する必要はないのである。普段対象としている線形弾性解析では、回転項は微小として無視されているものだ。さらに構造解析者が最も関心がある歪、応力は、ともに対称テンソルなので、軸性ベクトルは関係ない。また、弾性変形を鏡に写して見るわけでもないし、ましてやわざわざ座標系を反転する必要も全くないのだから。回転項が重要になってくる非線形弾性解析でも、終始一貫、右手系座標系で押し通せば、何も軸性ベクトルを意識する必要はない。

これが、電磁気学の分野では、そうはいかないようだ。A=Bのベクトル方程式があった場合、Aが軸性ベクトルなら、Bも軸性ベクトルであることを常に確認する必要性があるようだ。当分野では、軸性ベクトルは重要な概念と聞く。

ところが、核物理学までいくと、極性ベクトルと軸性ベクトルの混合演算の局面が登場する、という記載記事をどこかの本で見たことがある。飯の種を弾性体力学にしていてよかった、と今さらながら痛感している筆者である(笑)

2013年7月記

  1. 電磁気学分野を学習している学生さんを苦しめているだろうと想像する伝統的なベクトル解析も、実は古典的なアプローチだという。テンソル数学の観点からは、電磁気で登場する多くの物理量は反対称テンソル量であり、本来テンソルで理論展開すれば合理的に概念が理解できるのだが、実際はテンソルを避けた教育がほとんどのようである。
    テンソル数学そのものがベクトルに比べて厄介な数学なことと、2階反対称テンソルが軸性ベクトルで置換できるのが理由のようだ。 []

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