FEMINGWAY 〜有限要素法解析など構造設計にまつわる数理エッセイ〜

第50話 T&T’

熱学の歴史書をひも解くと、絶対零度の創始者ケルヴィン(Kelvin)のことが当然出てきます。ケルヴィンの名は彼が人生の終わりごろ爵位をもらうことになった時、故郷に流れていた川の名から名称を取りケルヴィン卿と呼ばれることになっただけで、彼の人生のほとんどはウィリアム・トムソン(W. Thomson;英1824-1907)です。

この古典物理界最後の大物物理学者といわれているトムソンの名が出てくるとき、不思議とテイトという人物がいっしょに登場することが多いです。それもそのはず、彼らは “Treatise on Natural Philosophy(自然哲学論考)”という当時有名な物理学の本の共著者でありました。ちなみに、自然哲学とは自然科学のことです。当時はまだ、物理などの科学は哲学の一部とみなされていた時代です。この本の著者がトムソンとテイトということで、両者は俗に、T&T‘ と呼ばれ(人名、書名ともども)、本の方は当時のヨーロッパでかなり有名だったようです。わが日本が勤皇だ佐幕だとチャンチャンバラバラをやっていた1867年にこの本が出版されています。

T&T’ に関しては、“19世紀の数学”の著者であるフェリックス・クラインがその中でいくつか面白いことを書いています。強い個性と方向性も違う二人がよく共著など出来たものだと珍しがっているクラインですが、実際の執筆の多くはテイトに負うことが多かったらしいです。周りからは第2巻も期待されていたのですが、例の大西洋海底電信ケーブル敷設計画でトムソンが時間を取られ過ぎて、結局、執筆できなかった経緯があったとのことです。

T&T’ は元々、物理の学生用に執筆されたようですが、平均的な学生にはかなり難解な内容であったとクラインは言っています。ある学生がうわさのT&T’ を購入してきたものの難解な内容なので、実際の物理の勉強はもっと簡単な概説書で済ましたというエピソードも紹介しています。われわれが、高木貞治の“解析概論”を購入して書棚に飾っておき、実際の勉強はもっと噛み砕いた説明の参考書で数学を勉強するようなものでしょうか(笑)。

構造力学に携わる人間にもT&T’ は関係しています。有効せん断力の概念で、薄板境界線での面外方向力の矛盾を説明するT&T’ の貢献がトドハンターの“弾性学の歴史”に紹介されていますし、身近なところでは、チモシェンコの“板とシェルの理論”にそのことが短く紹介されています。この専門的内容については、姉妹エッセイ“有限要素法よもやま話”の第2話をご覧ください。

以下はテイト(Tait;英1831-1901)の紹介です。

最初のエピソードは、かの有名な大物理学者クラーク・マクスウェルとは同年齢で共にスコットランド生まれであり、エディンバラ大学入学前のアカデミー時代から大学入学まで、また、ケンブリッジ大学に移るところまで一緒だったという奇縁があり、終生親友だったことです。

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読者は“マクスウェルの悪魔”という言葉を聞いたことはないでしょうか。分子一つひとつの運動を区分けできるという、エントロピーの話に出てくる悪魔のことです。筆者の高校時代には物理の副読書として、先年、亡くなられた都筑卓司さんのその物ずばりのタイトルの本(講談社ブルーバックス)を勧められたものです。

ところで、この“マクスウェルの悪魔”というネーミングは、マクスウェルがテイトに宛てた手紙の中で初めて使っているらしいのです。テイトは幅広く物理を扱ったものですから、ずいぶん、マクスウェルやトムソンとの文通交換があったようです。

さて、テイトの一番の特徴を挙げましょう。その性格といえば強烈な個性の持ち主で、狂信的ともいえる国粋主義者でありました。彼が最良の物理学者と認めるのはスコットランド人物理学者であり(トムソン、マクスウェル)、有能な物理学者はイングランド北部人(ジュール)でした。フランス人、ドイツ人物理学者にいたってはたいした研究はしていないと考えるテイトでした。だが、彼がそう偏見を持つのも無理からぬことかもしれませんね。彼が生きた19世紀前半には下に掲げるように、古典物理界では綺羅星の如く天才物理学者が英国で誕生しています。もっとも、ライバルのドイツでも同様ですが。

1810年代:ストークス

(1819-1903)

1820年代:トムソン

(1824-1907)

1830年代:マクスウェル

(1831-1879)

1840年代:レイリー

(1842-1919)

ちなみに、1850年代以降では、電子の発見者J. J. トムソン(1856-1940)以下、これまた有名な原子物理学者が続出しています。

テイトの性格だから、当然のことながら大の論争好きでした。派手な論争を繰り返した中でも一番有名なのはやはり4元数(クォータニオン)対ベクトル論争でしょう。テイトはケンブリッジの学生時代、ハミルトンに学んでいます。このときは特に4元数にのめり込んだわけではないのですが、後にヘルムホルツの有名な完全流体の理論に4元数がうまく応用できることを発見してからというものはその狂信的信者となり、4元数教の教祖になってしまいました。

4元数とその生みの親であるハミルトンについての面白い話は姉妹エッセイ“有限要素法よもやま話”の第18話第19話で紹介していますので、ここでは割愛させていただくとして、その4元数からベクトル解析を生み出したヘヴィサイド(英)やギブス(米)らのベクトル派との激しい論争が繰り返されたとだけを言っておきます。これは、数学史を彩る1ページでありました。

英国生まれの科学者には、創始者以上と思うぐらい、その理論に狂信的にのめり込む人がときおり出るようです。4元数におけるテイトのほか、ずっと後年、アインシュタインの相対性理論に惚れ込んだ天文学者エディントンの姿をわれわれは知ります。

大論争はまだまだあります。エネルギーの保存則、すなわち、熱力学の第一則の先取権論争です。ドイツのマイヤーと認めるティンダルに対して、テイトは自国出身のジュールと叫ぶ。

エントロピーの創始者、ドイツのクラジウスとは熱力学の第二則に関して僚友トムソンの熱力学でもってやりあうという具合です。おそらく、親友以外の学者たちはテイトとの接触を避けたかったことだろうと想像します。

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人格的には鼻持ちならぬテイトでしたが、全世界のゴルファーには敬愛の念を持たれるかもしれません。故郷がゴルフ誕生の地に近いという因縁もあったからか、この人、若いころは1日、5ラウンドも回ったというゴルフ狂でもありました。そして、物理学者らしくゴルフ球の軌道に興味を持っています。

 

  • その1.なぜ、スライスするのか。
  • その2.なぜ、傷の付いた球の方が飛距離が出るのか。

いろいろ実験を実施したり、流体力学の権威ストークスの協力を得た考察を行っています。1については、この時期の少し前にドイツのマグヌスがテニスボールから得た結論と同じく圧力差を原因としています。2からは、今のディンプル誕生に至るわけです。

彼の息子もゴルフ名人で有名だったようです。全英アマチュア選手権で2度も優勝している強者でしたが、ボーア戦争に志願して残念なことに戦死しています。その息子を追うようにして、その翌年、テイト自身も亡くなりました。

2007年10月記

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