FEMINGWAY 〜有限要素法解析など構造設計にまつわる数理エッセイ〜

第21話 日本との意外な関係

今春(2003年)、日本でも放映された世界的評判の映画に“戦場のピアニスト”というのがありましたね。ナチスの暴政下に生き抜いた実在のユダヤ人ピアニストの物語ですが、意外なことにその主人公のご子息が、現在日本の大学で教鞭をとられているとのことです。

話題を全く転じて“だまし絵”のことです。“だまし絵”は誰しもが一度は目にしていると思いますが、この世界で有名な画家にエッシャー(M. C. Escher;蘭1898-1972)という人がいます。だまし絵のことを言う時はいつも、“エッシャーのだまし絵”と言われるぐらい有名な人です。意外なことにこの人のお父さん(G. A. Escher;蘭1843-1939)は、明治初期の日本にお雇い外国人の一人としてオランダから招かれた土木技師でした。

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G. A. エッシャーは明治6年(1873)に来日しました。この時、デ・レイケ(De Rijke;蘭1842-1913)と一緒でした。エッシャーは5年間ほどで日本を離れてしまいますが、デ・レイケの方は30年間の長きにわたる滞在中、淀川、木曾川、九頭竜川などの河川改修に功績を残し、日本の近代河川工学の父ともいえる存在になりました。

二人の日本滞在中、河川改修での設計面をG. A.エッシャーが受け持ち、施工面をデ・レイケが担当する関係でありました。この二人、G. A. エッシャーはオランダでの上流階級の出身、デ・レイケは下層階級出という違いがあったにもかかわらず、お互いを認め合う仲となり終生の友人となったようです。

G. A. エッシャーは日本滞在中に1つの珍しいものを残しています。福井県を流れる九頭竜川の河口にある三国港の整備事業にかかわった時だと思いますが、どういう経緯か小学校校舎の設計をしています。今もそれを記念して当地に木造5階建で八角形の洋風建築が建っています(エッシャー当時のものではないそうですが1 )。

奇しくも昨年(2002)、滋賀県豊郷町にある小学校校舎解体問題が世間を騒然とさせましたね。こちらの方は昭和12年にアメリカ人のヴォーリズ氏が設計したものです。これよりもはるか昔の明治12年(1879)に福井県の小学校校舎がオランダ人の手による設計であったとは一つの驚きですね。

ここに出てきたヴォーリズという人は宣教活動のため明治38年(1905)、滋賀県の近江八幡に第一歩を踏んだ人です。布教活動の挫折から建築士としての活動にも力を入れ、今に残る数々の有名な建築物を設計しています。後には事業家としても成功するという立志伝中の人物ですね。ところで、またまた意外なことに、ヴォーリズの父君はオランダからアメリカに移った移民だったのです。

日本の地方にあり、今では記念的建造物ともなっている2つの小学校校舎が、オランダ人に関わりがあったというお話でした。

2003年8月記

  1. 2012年5月、筆者が訪れた時に撮影した写真です。21-b []

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