FEMINGWAY 〜有限要素法解析など構造設計にまつわる数理エッセイ〜

第19話 懐かしい名

本エッセイの姉妹エッセイである“有限要素法よもやま話”、第17話で変分法誕生の端緒となった問題、最速降下曲線問題のことを少し紹介しています。

ヤコブ・ベルヌイ(J. Bernoulli;瑞1654-1705)が投げかけたこの問題に対して、5人からの正解が寄せられたとのことでした。その中の一人は問題提供者であるヤコブ自身ですが、他の4人とはヤコブの弟ヨハン・ベルヌイ(J. Bernoulli;瑞1667-1748)に二人の大数学者ニュートン(Newton;英1643-1727)、ライプニッツ(Leibniz;独1646-1716)でした。そして、これら大物数学者たちに混じって、最後の一人にロピタルという名がありました。

この名前、どこかで聞いたことはありませんか。高校数学の参考書に“ロピタルの定理”というのがありましたが、あのロピタルですよ。

ロピタルの定理というのは

19-1

のように0/0の不定型の極限値問題の公式でしたね。

分子、分母の関数がともに極限値として0になる場合、それらの関数を1階微分してから極限値を求めてもいいという公式でした。

19-2

あまりに便利で天下り的な公式なものですから、筆者の高校時代では使用することを禁じられていたという懐かしい思い出があります。こっそり、検算で利用していましたが。

ロピタル(L’hopital;仏1661-1704)という人はフランスの侯爵だったらしいです。彼にはその貴族地位に絡んだ面白いエピソードがありますので一つ紹介しておきましょう。

ロピタルはなかなかの数学愛好家で、1696年には“無限小の解析”という数学の本を出版しています。この本、世界で最初の微分学の教科書だったらしいです。実はロピタルの定理もこの本に出ていたようです。

ところが、この本の内容のほとんどは、別の作者が思索していたことを活字にしたものだというのです。その作者とは上にも出てきた、ヨハン・ベルヌイのことです。ヨハンはロピタルの家庭教師みたいな立場だったらしいです。

下俗な表現では“パクリ”とも言える事実がスキャンダル事件にならなかったのは、ロピタルがヨハンに支払っていた授業料が(ロピタルの業績としての)成果公表の対価になっていたとか、ヨハンへの就職斡旋が交換条件だったとかいわれています。

いずれにしても、二人の間に何らかの約束ごとがあったのでしょう。

2003年4月記

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