第18話 ハンガリーの不幸
昨秋(2002)、出版された“僕の起業は亡命から始まった”という書物を読んでみました。
インテルの創業者の一人であるアンドリュー・グローブ氏の半生の自伝です。筆者は伝記物を読むのは好きですが、海外の事業家のものは初めてでした。それは彼がハンガリーの出身ということを知って興味を持ったからです。
国土が日本の3割にも満たず(もっとも歴史的には広大な領域を持つ時代もありましたが)、人口が1千万人ほどという小国とも言える東欧の国が、数学や物理の方面で幾多の天才を生み出したことにかねがね筆者は興味を持っていました。“ハンガリーの不思議”とも言うべきものですね。
たまたま、OECD が加盟27カ国の学習意欲調査というのを発表していました。学校以外の勉強時間はどれぐらいあるかという調査です。それによると、ハンガリーが第2位で50分、日本が最下位の25分とのことでした。ちなみに第1位はギリシャです。このあたりから違いが出ているのかもしれないと筆者は思ったりもしています。
さて、現在のハンガリーの国情については、筆者は不案内なものですから、ひとまず置かしてもらって、天才科学者たちの亡命の歴史という観点からみますと、ハンガリーは頭脳流出の連続という不幸を背負ってきているのであります。二度の世界大戦による政治混乱とその後のソ連による政治干渉、さらに根深いユダヤ人迫害が多くの天才たちを故国脱出へと駆り立ててきた歴史があるのです。
まず、前の話で登場してもらったテオドール・カルマン(1881-1963)がいます。そして、19世紀から20世紀への過渡期の10年間に生まれている4人の天才たちがいます。レオ・シラード(1898-1964)、ユージン・ウィグナー(1902-1995)、ジョニーことフォン・ノイマン(1903-1957)、エドワード・テラー(1908-2003)と錚々たる天才たちです。
この4人は有名なマンハッタン計画に参画していたので、世間では原爆はハンガリー人が作ったとさえ言われました。事実、ナチスによる原爆開発を恐れて、アインシュタインの知名度を利用して時の大統領ルーズベルトに米国の原爆開発を薦めたのはシラードです(後の日本投下には疑問を持っていましたが)。
さらには数学史上、論文数がオイラーに次いで2番目に多いと言われています放浪と奇行の天才数学者、エルデシュ(1913-1996)がいます。 現在われわれがよく知る数学者では、大道芸の名人であり語学の天才でもあるピーター・フランクル(1953-)もそうです。彼の著書を読むと有能な若者が自由に生きていくには、何か重苦しい雰囲気のある母国というものが伝わってきます。事実、彼は亡命までしているのです。
遠く東アジアにある日本では正直、ハンガリーという国のことをよく知る人は少ないと思います。筆者もその一人です。しかし、近代科学史の書物をひも解いてみると、これだけ天才たちが脱出する国というのはやはり不幸としか言いようのない感じがするのです。冒頭のグローブ氏は1956年のハンガリー革命の時に亡命して以来、一度も故国に足を踏み入れていないといいます。
2003年1月記