第17話 天才的工学者
すでに遠い昔のことになりましたが、筆者は大学院生初年の時、“工学における数学的方法”という本を読んだことがあります。その本の中で、自重による棒の座屈現象を表現する微分方程式に出くわしました。そして、その微分方程式の解法において“ベッセル関数”というものを初めて知りました。
少し大げさな話になりますが、ベッセル関数を知ってからというもの、街中を歩いていてスレンダーな塔構造を見かける度に、この塔は背骨にベッセル関数を背負っているんだと感じたものです。
この本の著者の一人が、前回の話の最後で紹介しましたカルマン(T. Karman;1881-1963)です。もう一人の方の著者はビオといいます。本書の名が示すように、カルマンは抜群の数学的才能を持ち、各種の工学問題に応用したようです。このとき、まず、問題の本質を見抜く慧眼がすばらしかったといいます。
この本を読んだときは、そんな偉い人とは思うよしもなかったのですが、その後いろいろ勉強をしていると、あちらこちらでカルマンという名に出くわすではないですか。それがまた、同一人物といいますから驚きの連続でした。
ただし、ややこしいことに、同じハンガリーのブタペスト生まれで、さらにこれも同じく航空方面で貢献する別人のカルマンがいますので要注意です。こちらのカルマンはルドルフ(Rudolf)・カルマンの方で、制御方面の用語で“カルマン・フィルター”というのを耳にすることがありますが、これはこちらのカルマンの方です。今回の主人公の方はテオドール(Theodor)・カルマンですので、くれぐれもお間違いないように。
プラントルもそうでしたが、カルマンも乱流の研究で貢献していますので(事実、一般人までその名を知っている“カルマン渦”という言葉が人口に膾炙していますね)、流体力学分野の人かと思ってしまいますが、構造(材料)力学分野でも多くの貢献をしています。最初は座屈の解析から入ったようです。弾性安定、平板の大たわみ等でカルマンの名が出てきます。
だが、カルマンの一生の仕事といえば、なんと言っても空気力学の分野ですね。ゲッチンゲンのプラントルのもとを出て、1912年、アーヘン工科大学の教授になってからは航空学を始めることとなります。時代は航空分野の黎明期であり、ここで、ヘリコプター、グライダー、飛行船の解析に携わっています。後に、ドイツの政治情勢からアメリカに渡り、カリフォニア工科大学(カルテック)に籍を置き、航空機の分野で八面六臂の活躍をすることになります。後世、“航空工学の父”とも呼ばれることになる所以です。
天才的工学者のカルマンでしたが、彼の自伝1 を見ていると、実に人との交流が広く、しかもその相手が人名事典にも載っている有名人ばかりなのには驚かされます。カルマンをカルテックに呼んだのも有名な物理学者ミリカン(Milikan;米1868-1953)でした。この人、“ミリカンの油滴実験”の名称で高校物理に出てきますよね。
さらに、驚きの事が自伝にあります。カルマンは日米開戦の前、神戸にあった日本の会社と航空機製作に関して技術顧問の契約をしているのです。その関係から来日もしており、日本人の技術者への感想が教訓的であります。本書第13話で既に紹介しましたが、
「創造力に欠けて、模倣力が優れている」
とカルマンは評しています。
最後に余談となりますが、カルマンは生涯独身でありました。女嫌いかと思ったら、さにあらず、ゲッチンゲン時代に、ある男と美人で評判だった女性の鞘当を演じているのです。その競争相手とは、後に、ヒルベルトを継いでゲッチンゲン最後の大物数学者となり、20世紀最大の数学者の一人に数えられるヘルマン・ワイル(H. Weyll;独1885-1955)なのです。ホースで水の掛け合いをした二人のうち、美人女性がワイルの顔をぬぐったことで決着がついたらしいですよ。まさか、このときの敗戦でカルマンは独身を通したのではないでしょうが。
2002年12月記
- “The Wind and Beyond”の和訳“大空への挑戦(森北出版)” [↩]