FEMINGWAY 〜有限要素法解析など構造設計にまつわる数理エッセイ〜

第6話 幸運児クーロン

ABC の法則、XYZ の定理といったように公式めいたものには、その部門に寄与するところの大きかった有名な物理学者もしくは数学者の名を冠に戴くことが多いですね。これをフランス語で???というのを何かの本で読んだことがあるのですが、それが思い出せないでいます。どなたかご存知の読者がおられたら是非お知らせください。

今回の主役であるクーロン(Coulomb;仏1736-1806)も然りです。彼の名がつく“クーロンの法則”は内容の全く違う2つのものがありますね。これに言及する前に、少し、クーロン自身のことを紹介しておきましょう。

彼は物理学者の肩書きもありますが、どちらかと言えば工学者、技術者でありました。幼少の頃から数学的才能があったため科学方面を目指そうとしましたが、彼の母はクーロンを医者にしようとしたらしいです。クーロンが母の希望を断ち切ったため、以後、金銭援助を受けられなかったといいます。それで、軍隊に入って技術将校になったりしました。だが、健康を害して以後、研究生活に入っていったといいます。

彼が生きた時代のフランスの多くの科学者たちが、その数学的才能を発揮できる数理科学方面で活躍したのに対して、クーロンは実験を重視した科学者でありました。しかも、それが今に残る2つの有名な法則につながることになっているのです。

“クーロンの法則”の第一は摩擦の法則です。これは高校物理にも出ている下の式であります。

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土木技術者にはお馴染みの古典的土圧理論の1つ“クーロン土圧”は“クーロンの法則”が元になっています。また、地盤を対象とする土木技術者たちには“モール・クーロン型”として知られる降伏関数が定番のように使用されています。

ところで、この法則、実は彼よりも約百年も昔に同じくフランスのアモントン(Amontons; 仏1663-1705)という人によって見出されていたものだそうです。だから、この法則を“アモントンの法則”と呼ぶ人もいるらしいですが、一般には“クーロンの法則”の方が人口に膾炙していますね。

次に2つ目の“クーロンの法則”のことですが、よく知られた電磁気分野での法則です。2つの点電荷の間に作用する力はニュートンの万有引力と同様、逆二乗の法則に従うということを、ねじり秤を用いた実験で彼は検証したのであります。

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後に分かったことですが、こちらのクーロンの法則の方には特筆すべきことがあります。この公式の適用範囲が10-16mから108mまでと実に24桁という、とてつもない範囲で有効であるということです。量子力学を筆頭に現代物理学の進歩により、従来の古典物理学の土台があやしくなっている今も、電磁気学の基礎としてクーロンの法則が生き続けている背景はここにあります。

ところで、こちらのクーロンの法則も本来なら別人の名が付けられるはずのものだったのです。クーロンよりも十数年前にイギリスの貴族、ヘンリー・キャベンディシュ(H. Cavendish;英1731-1810)がクーロンよりも高い実験精度でこの事実を発見していたというのです。しかも、それが分かったのは100年ほど後のことなのです。それゆえ、“キャベンディシュの法則”とならず“クーロンの法則”となったそうです。

どうして、そうなったかと言えば、キャベンディシュが奇人だったからです。もし、奇人科学者列伝があるならば、間違いなく彼はトップランクに列せられるでしょうね。彼は極端な人間嫌いであまり人に接することなく、数々の実験データを自分の部屋の机にしまいこんでいたのです。富豪貴族の家系に生まれた彼は金銭に不自由せず一人、科学実験を楽しんでいたというのです。すなわち、彼にとって科学は道楽であり、世間に発表するものではなかったのです。

100年ほども過ぎて、どうしてまたその事実が判明したかといえば、科学史を彩るドラマチックな一コマがあったのです。話がクーロンから離れてしまいますが、興味深い話なのでここに紹介しておきます。

1861年、ケンブリッジ大学の総長を務めることになった人物は、名門貴族キャベンディシュ家の一員でありました。その頃、他国に比べてイギリスでは実験物理学が弱体でありました。そのため、金持ちの総長が寄付をして実験物理学の研究機関をケンブリッジ内に作ることになりました。それがキャベンディシュ研究所であります。ところが、その初代所長の人選は難航しました。一時は、母国のケルヴィン(Kelvin;英1824-1907)、ドイツのヘルムホルツ(Helmholtz;独1821-894)と大物物理学者の名が挙がりましたが、同意が得られず、結局、電磁気分野で偉大な功績を残した、かの有名なマクスウェル(Maxwell;英1831-1879)に落ち着きました。

マックスウェルが所長に着任後、総長は自分たち一門の先祖であるヘンリー・キャベンディシュが残した未発表の科学ノートを彼に贈呈しました。マクスウェルがノートの束を繰っていくと、そこには信じられない歴史上の発見が記載されていることに気づき驚きました。それから、5年間ほど、ノートを整理して分かったことは、既に他人の名が冠せられている“クーロンの法則”、“オームの法則”そして“ファラデーの誘導分極現象”までもが、その人たちよりもキャベンディシュが先取りしていたという事実です。歴史がときおりなす気まぐれの産物でした。

ついでに言っておきますと、このキャベンディシュ研究所からは後に30人近くのノーベル賞受賞者を輩出しています。

クーロンの話題から脱線してしまいましたが、もう、お分かりでしょう。彼の名が付く2つの有名な法則が、実は先取者がいたにもかかわらず、歴史の気まぐれでその名が残るという非常に幸運だったのがクーロンなのです。

それにしても、18世紀に提案された幾多の自然法則が、その後の科学の進歩に伴い修正、棄却される中にあって摩擦、電磁気という2つの分野でのクーロンの法則がいまだ生き続けているのには感動的ですらありますね。

キャベンディシュに興味を持たれた方には丸善ライブラリー(新書版) “異貌の科学者”(小山慶太著)の一読をお勧めします。

2001年4月記

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