FEMINGWAY 〜有限要素法解析など構造設計にまつわる数理エッセイ〜

第49話 続・第三の積

前回、テンソル積の話をしたが、固体や流体の力学である、いわゆる連続体力学の数学で頻出するベクトル乗算の内積、外積、テンソル積と、ベクトル乗算三人衆が出揃った。これで終わりと思いきや、数学とは厄介な奴で、記号∧を使った交代積というのもある。

図49‒1 テンソル積の幾何学的表示

図49‒1 テンソル積の幾何学的表示

内積、外積2つはその幾何学的イメージを掴むのがたやすいのに対して、テンソル積については乗算対象になっている2つのベクトル AB だけでは掴めない。幾何学的イメージを掴むためには、もう1つのベクトル U を持ってくる必要がある。テンソル積の定義を説明した数学の教科書によくある ABU=(BUA はベクトル U をベクトルB 方向へ射影して(すなわちその方向の大きさを求める)、その結果をベクトル A 方向にスカラー倍するというのが、テンソル積の幾何学的イメージである。

次の表のように各ベクトル乗算の名称があるが、テンソル積の最後に空欄があるのは上の複雑性が原因かと筆者は思っている(ディアド積という人もいるが、この名称は他の2つとは異質である)。

49-a

数学書によっては、テンソル積の幾何学的イメージから“やぶにらみ演算子”というような名称を使用しているのもあるが、上の空欄にこれがふさわしいかどうかは議論の余地がありそうだ。

上述したようにベクトルと言えば、われわれ工学分野の人間はすぐに矢印をイメージし、各種のベクトル演算においても、その幾何学的イメージをもたないと気が済まないところがある。ところが、数学では、それでは駄目のようだ。数学の啓蒙活動など数学教育分野で有名だった遠山啓さんが、ある本でこう書いておられる文章がある。

「ベクトルといえば必ず矢印を連想する者が多いが、これはバカの一つ覚えだ」

工学者が聞けばギャフンとする言葉であるが、たしかに、現代数学と呼ばれている数学では、ベクトル解析はかなり抽象的な数学となっている。そこにはもはや矢印の姿はない。時代はベクトル代数を線形代数学と言い換えているのである。

数学者が対象とするベクトルとは N 個の実数の組(x1, x2, …xn)が、ベクトルと定義する加法、スカラー積の条件を満たしさえすれば、それがベクトルである。それらのベクトルで構成されるのがベクトル空間と呼ばれている。そこには、ベクトルの長さとか、相対角といった幾何学的な計量は何も存在しない。まさに、ベクトル空間といっても代数空間なのである。普段、われわれがなじむベクトル空間は、3次元の幾何ベクトル空間という、数学では極めて狭小な分野だったわけである。

われわれのベクトル空間にとって重要な数学が、実は高校数学以来のおなじみの内積と大学初年度で習う(ひょっとしたら、今では高校で習得しているのか?)外積である。内積は抽象的なベクトル空間から具体的な計量ベクトル空間へのシフトにおいて重要な役目を果たしている。

一方、もう1つの外積であるが、われわれが扱っている外積は3次元空間特有のもので、この空間のみでしか通用しない(と筆者は最近まで思っていたが、実は7次元の空間もあると知った)。この外積は数学全体からみれば極めて特殊な数学とのこと。一般には外積代数といわれる数学があり、ここでいう外積はわれわれが通常扱っている外積とは違っている。

工学者が当たり前に思っている3次元空間が、数学者にしてみれば、極めて特殊な空間という事情を改めて知らせてくれたエピソードが一昨年(2006年8月)あったことを読者は覚えておられるだろうか。“ポアンカレ予想”というミレニアム問題(理系夜話、第33話参照)の1つにもなっている難題の解決に貢献したロシアの数学者、グレゴリー・ペレルマンのことである。彼が、その功績によりフィールズ賞受賞という段になって、有名になるのは嫌だと言って、前代未聞の受賞辞退したニュースがあったことは記憶に新しい。

このペレルマン氏が貢献したというのが、最後に残っていた3次元空間というのである。やはり、3次元空間は数学者にとっては厄介な次元のようだ。

2008年10月 記

Advertisement

コメントを残す

ページ上部へ