第48話 第三の積
3次元空間における位置ベクトルなり、変位ベクトルの座標変換式、すなわちベクトルの一次変換式は言わずとも知れた下記の式である(下式は変位ベクトルの場合)。
上のマトリックスを行ごとに分けて表記すると、各式は方向余弦ベクトルと変位ベクトルの内積となる。
一方、座標変換後の変位ベクトル U‘ はデカルト座標系の基底ベクトルを使用して下記の通り表現できる。
式(2)の各項を式(3)に代入すると、次のような式となる。
この式を眺めると、つい括弧を外したくなる。そうすると、Ui のようなベクトルを2つ並べたものが出現してしまい、困惑してしまうかもしれない。われわれは A・B(内積)や A×B(外積)といった2つのベクトルの積演算はよく知っているが、AB のようなものに初めて出くわした人は戸惑ってしまう。
今から120年ほど前に、AB にディアド(dyad)と名づけて、その代数を創始した数学者がいた。アメリカのギブス(Gibbs;米1839-1903)である。ディアドは和名で“不定積”や“直積”と呼ばれているが、物理の各方面で登場するときは式(4)のように、その線形和の形で出てくるのがほとんどである。この線形和をディアディックと呼んでいる。
昔、力学の本でディアド、ディアディック代数が使用されたのは、式が座標系に依存しないベクトル表記できたからだそうである。ところが、この代数、これはこれで雑多な公式群を必要としたりして、近年は避けられてしまった経緯がある。
ディアドの表記 AB も A⊗B に変えられ、これが、テンソル代数の教科書のページに非常によく出てくるテンソル積である。今では、ディアドも2階のテンソルとして取り扱うことが主流となっている。テンソル代数が初めての方のために、A⊗B を成分表示しておくと以下の通りである。
ところで、ディアドの源であるベクトルの諸数学は、ギブスが母校エール大学の数理物理学教授の椅子に就いた際、自分の学生用の教材に作成したコンテンツなのである。ハミルトンの4元数(第18、22話参照)の研究から独立した数学の一分野を築き、これが今日、われわれ工学系の人間には重要な数学、ベクトル解析なのである。ところが、発明当時、イギリスのテートを旗頭とする4元数派の人たちからの猛反発があったらしい。結局は、ベクトル解析の方が圧倒的に簡単で便利だから、イギリスの力学書もほとんどベクトルで書かれた経緯がある。
性格や行動に常軌を逸した人が多い科学者の中にあって、ギブスは極めて普通の人であったという特異な存在である。しかし、科学者としての評価は最高である。アメリカでは、今までアメリカで生まれた科学者の中で最高の人と評価され、“小ニュートン”と呼ぶ人もいるらしい。ただ、不幸にもその最高の評価も死後のことであった。以下、彼の略伝を少し紹介しよう。
ギブスは最初、当時のアメリカの事情を反映してか、工学分野からスタートしている。母校エール大学で、歯車の設計で工学博士号を取得している。これはアメリカで第1号の工学博士だったそうである。面白いことに、歯車設計の研究に設計図面が1枚もなかったそうである。論文に載っているのは数式だけだったそうだ。後年の抽象化能力を彷彿させる話である。この当時には、鉄道ブレーキの特許も取得したというエピソードもある。
27歳の時、妹を連れて突如としてヨーロッパへ遊学している。この遊学が彼の科学者としての転機であった。ドイツでのヘルムホルツ、キルヒホッフといった超一流の物理学者からの影響を大きく受けて帰国し、その後の人生は数理物理学者としての一生を送ることになる。
32歳の時、エール大学の数理物理学教授に就任しているが、この翌年の1872年(明治5年)に、奇しくも日本の山川健次郎(理系夜話、第27話参照)がエール大学、しかも物理教室に留学している。この二人が話しかけあっていたのかと想像するだけでも楽しい。
34歳の時に発表した論文が、熱力学分野での革新的な論文で、筆者はこの方面は門外漢でよく分からないが、ニュートンの“プリンキピア”に匹敵するものと評価されたらしい。それからというものは、熱力学、統計力学の方面で不朽の功績を残したということだ。後者などはギブスが創設した科学分野だという。だが、その最大限の評価も彼の生存中にはなかった。
3年間の遊学後は、エール大学のあるコネチカット州ニューへブンから出ることもなく、共同の研究者がいるわけでもなく、発表論文もローカルな学術誌に掲載していたので、科学の本家、ヨーロッパの人たちにはほとんど無名の人だったようである。一人、かの天才マクスウェルだけがギブスの才能を見抜いていたようだ。
性格的にも物静かな学者で、名声を求めるわけでもなかったことが、死後での評価になってしまった要因でもある。生涯を独身で通し、父親の建てた家に妹夫婦と一緒に一生を過ごし、いやな顔一つせず家事の手伝いもこなしていたというギブスの生涯を眺めると、その研究者としての大きさと平凡な生活者とのギャップに可笑しさを感ずるものである。
2008年8月 記