FEMINGWAY 〜有限要素法解析など構造設計にまつわる数理エッセイ〜

第50話 テンソル学習の感想

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ベクトルの参考書が大型書店の数学書コーナーに多く並べられているのに比べると、テンソルの方はほとんど皆無の状態だ。そもそも、テンソルを解説した書物というものが極めて少ないように思う。テンソルと言えば、たいていはベクトル本の中で後半の数章を割いて解説されているか、連続体力学を扱った書物の付録として書かれていることが多い。

たまにあるテンソル数学書には1つ特徴があるようだ。著者に大正生まれの人が多いこと。もう1つ、数学者矢野健太郎さんのファミリー的メンバーによる執筆者だ。これらは、やはりヤノケンさんが憧れたアインシュタインの相対性理論からの影響が大きかったと思われる。

一方、大学の数学授業でも、理学部ではいざ知らず、工学部の学部課程においてはテンソルまで扱うところはまず無いと想像する。固体力学あるいは流体力学、はたまた電磁気学と各専門課程に進んだ大学院生が研究室で初めてテンソル学に接するというのが実情ではないだろうか。

かくして、テンソルの修得を必要と痛感した人たちは、先輩諸氏の指導を仰げるという幸運な場所にいた人を除けばほとんど独学ということになる。筆者の場合も独学組である。

物理にとって極めて重要な数学であるといわれているテンソルなのに、この冷淡さはなんだろうかと思ってしまう。しかし、理由が無いわけでもない。筆者の専門とする固体の力学では、実際上、テンソルを回避できることが多いのも事実なのである。この辺の事情はどうやら電磁場解析の分野でも同様らしい。

批判を覚悟で言えば、相対性理論でのような高階テンソルを必要とする場合は別にして、2階テンソルの数学で充分な連続体力学分野に携わる人たちは、テンソルの絶対必要感がわかないのではと筆者は思っている。

1つ、具体例を挙げよう。弾性体の応力平衡式を導く場合、材料力学を先行して学んだ人たちは古典的な手法でその結果を導くことを知っている。そして、応力や歪の2階テンソルとしての振る舞いや性質は大学初年度で学ぶ行列の数学の知識でもって理解できるはずである。

一方、応力のことはテンソルの知識があれば(回転)運動量保存則を使って、数学的にスマートに展開することができる。だが、出てくる結果は古典的手法と同じで、何も新しい知識はない。すなわち、高度な数学を使っても、既に知っている結果を確認するだけになりかねないという、テンソル学習の辛さがある。この点が、いまいち工学系の人たちの間でテンソル学習への力が入らない大きな理由ではないかと、筆者はかねがね思っている。

そうはいっても、やはりテンソルの知識は必要である。上の話にあるテンソル無しの古典的手法で解決できるというのは、定式化の拠り所とする座標系がデカルト座標系という、座標軸が直線で、かつお互い直交するという好都合なものを採用しているからである。ここでは、反変/共変の区別もなければ、共変微分も、=偏微分となって、必ずしもテンソルの知識を必要としない世界である。

図50‒1 ベクトルの共変成分と反変成分

図50‒1 ベクトルの共変成分と反変成分

 

だが、一般の非直交曲線座標系では、そうはいかない。有限要素法での要素剛性マトリックスの定式化においては、埋め込み座標系のように曲線座標系を使用するケースもあるので、有限要素の要素開発に深く携わる人、非線形解析に携わる人にはテンソルの学習は必要である。

筆者は長く有限要素法にかかわってきたが、幸か不幸か、非線形解析のプログラム開発に手を染めたのはわりと最近である。ずっと線形解析オンリーできたし、全てがデカルト座標系の採用で済んできた。そんなことで、仕事上でテンソル学習の必要性はなかったのだが、持ち前の好奇心から30代の前半より、折に触れてテンソルの本を読んできた。

以下は筆者のテンソル学習の感想(おそらくテンソルの数学書を書かれている著者への注文となるであろう)と、これからテンソルを勉強しようかと思っておられる若い人たちの参考になればと思う文章である。

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まず、テンソルを勉強するなら若いうちからしろと言いたい。これはなにも、頭の柔軟さの問題を言っているのではなく、視力の問題である。テンソル数学には必ず、下添え字、上添え字がある。目のいい若いうちは何ら苦労しなかった小さな i とか j が年を取るにつれて判読できなくなる。これは相当つらいですぞ。60近くまで眼鏡なしで頑張ってきた筆者もついに、最近メガネを着用するようになってしまった。テンソルの数学書を読むのにメガネを買ったようなものだ。

さて、筆者の経験からいってもテンソルの勉強は、最初ちょっと難しいかもしれない。各参考書の著者が序文で記述しているような明快さとは違うと思うかもしれない。テンソル数学の表現には安定していない所があって、初心者は混乱させられるかもしれない。それは次の点である。

  • テンソル自身の定義にも幾通りかあって、それぞれの参考書での力点の置き方が違う。
  • ベクトル解析では(・、×、∇)ぐらいだった記号が、テンソル解析ではやたらと増える上(:、‥、⊗、∧、│など)、記号が書籍間で違った意味で使用されているケースもある。例えば、テンソル同士の積の1つに結果がスカラーになるスカラー積というのがあり(ベクトルとは違って=内積ではない)、これを複内積という意味で“‥”で表示する参考書が多いが、別の本では“・”で表現している。
  • ベクトルからしてそうだったように、座標系に依存しない直接表示と添え字表現の2つがテンソルにもあるのはいいとして、これ以外にも同じことを別表現することがある。ベクトル同士の直積を AB と表現する場合と AB と表現する2つがある。前者をディアド積といい後者をテンソル積といっている。両者を採用した参考書が現実にある。

よく言えば、テンソル学というのは多彩であるということだが、悪く言えば、統一化されていないということだ。この不統一という点が、テンソルを初めて学習しようという人にとっては、手にする参考書によって影響を受けてしまう難点がある。

テンソルのことを解説する書物の著者には数学、物理、工学と3分野の人たちがいる。これまた、多彩である。そして、ここにも、それぞれの持ち場の特徴から記述内容に差が出ている。数学者の書いたテンソル本からは双対空間という重要な概念を知らされる一方、実用面でよく使うテンソル積などは解説が浅いように思われる。工学の場合、電気分野の先生方がテンソルの数学をよく解説されているが、テンソルの応用面ともなれば弾性体の力学書内でよく解説されている具合だ。

そんな訳で、テンソルを勉強しようと思う人間に、これ一冊の本で勉強したらいいよというものは無いように筆者は思う。お互い補完し合う内容を持つ数冊の参考書を渡り歩く必要があるのではと思ってしまう。

テンソルを勉強するに際しては、テンソルがそもそも典型的な応用数学であるため、数学のための数学を学ぶという目的でテンソルを勉強する人もいないだろうから(いたら御免なさい)、はっきりと自分の目的に合った参考書も選ぶことである。

物理現象を力学原理から納得したいという目的の人はデカルト座標系中心で記述されたテンソル数学書を読めばいい。それは連続体力学の書籍内に記述されていることが多い。ただし、力学書で記載されているテンソルは天下り的に記述された内容が時折あり、テンソル自身の勉強にはならないこともあるので注意が必要である。

また、非線形有限要素法の要素開発に携わる人でも、かなりの範囲で直交座標系のテンソル学で済むことが多いのも事実である。実用的な構造物の構造解析において、変形は大でも歪は微小という仮定の成立範囲が多く、この場合もそんなに深いテンソル学を必要としないはず。

やはり、テンソル学の圧巻は曲線座標系を基準にしたものだ。「歪は変形前後における物質空間の計量テンソルの差である」なんて簡潔にしてかっこいい表現が出来るのもこのレベルになってからである。

2008年12月記

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