第19話 栄光と挫折そして復活
前回の続き。
ハミルトン(Hamilton;愛蘭1805-1865)の名を工学系の人たちは比較的早くから知ることになる(ひょっとしたら、今の高校教科書には既に出ているのかもしれないが)。大学初年級課程で習う解析力学の中に出てくる“ハミルトンの原理”がまずそれである。彼は比較的若い時期に、光学、力学方面の分野で貢献をなす早熟の天才であった。
ハミルトンは小さいころから、親元を離れ叔父さんの家で暮らすことになるが、この叔父さんの影響で少年期、まず語学の天才ぶりを発揮する。語学への興味は詩作とともに生涯消えなかったようだ。詩の方では有名な詩人ワーズワースとも長い付き合いをしているほどだ。ここで、ハミルトンのとんでもない早熟の天才ぶりを紹介しておこう。
- 8歳
- 6つの古典語と現代語習得
- 10歳
- 方言に近いマイナー言語を除く東洋語を習得(残念ながら日本語はマイナー方言であったらしい)。ユークリッドの原論を読む。
- 12歳
- ニュートンのプリンキピアを読破。
- 13歳
- 13カ国語修得。
- 16歳
- ラプラスの“天体力学”を読み、誤りの箇所を見つける。
ついでに言っておくと、ハミルトンの古典語への造詣の深さは、われわれが今も使用しているベクトル解析の記号に生きているから面白い。∇(ナブラ)がそうである。この記号はハミルトンが初めて使用したという。
さて、栄光へまっしぐらに見えたハミルトンも19歳のとき、最初の挫折を味わうことになる。失恋をするのである。大天才もやはり人間なのである。このときの失恋はその後の彼の人生にもいくらかの影を落とすことになる。
先年、出版された“天才の栄光と挫折(新潮選書)”という本の中で、ハミルトンのそのあたりのことが紹介されている。この本はそれ以前、NHK 教育放送で放映された“人間講座”の一環として、数学者の藤原正彦さんがテキストに使われた天才数学者列伝が元になっている。おもに、人間としての天才に焦点をあてて語られている面白い本なので、興味ある方は一読をお勧めする。
閑話休題。栄光に包まれた前半生から一転して、ハミルトンの後半生は、地位こそ栄華に包まれても、個人的には不運と挫折の人生が待ち構えていた。数学者としては4元数にあまりにも固執しすぎ、その4元数が世の中で受け入れられないのと比例して二級の数学者に評価が下がってしまう。家庭では不幸な結婚生活があり、孤独を酒で紛らわす人生であった。本当に、アルコール中毒のような晩年であったそうだ。
しかし、科学史におけるハミルトンの名はこれで終わらなかった。彼の死後、約半世紀の時を経て生まれた量子力学の分野で、ハミルトンの考えが再評価されたとのことである。“栄光と挫折と名誉復活”という、まるでドラマのシナリオに書かれたようなハミルトンの人生であった。
[追記]
∇は楽器の幾何学的形状から取られたヘブライ語から来ており、これを“ナブラ”と呼んだのは別の人であったことを知るのは、九州大学情報基盤センターの藤野清次教授のおかげである。実は、この呼び名の親はなんと、マクスウェルとのことである。
2003年4月 記