第7話 古都のミニ風景4
読者の皆さんは、寺院を訪れた際、塔頭(たっちゅう)という言葉を見たり聞いたりしたことがないですか。京都のお寺では、よく耳にする言葉です。塔頭とは、ひと言でいえば、“お寺の中のお寺”と捉えても間違いないはずです。
しかし元々の厳格な意味では、禅寺の住持を務めた高僧の隠居場所を指したようです。それが、後には、弟子の僧たちが寺内にそれぞれ独立して建てた小院にまでも意味するようになったそうです。京都市の北区紫野にある大徳寺の各塔頭がその独立性で有名ですね。また、あの金閣寺、銀閣寺も京都御所北側に位置する相国寺の塔頭だそうです。ただし、この二寺は相国寺とは地理的に離れているので境外塔頭と呼ばれているみたいです。
禅宗派寺院で使われていた塔頭という言葉は、時代を経て他の宗派寺院でも使用されるようになりました。その一つに、“本因坊”というのがあります。本因坊といえば、今では囲碁の争奪戦のタイトル名称になっていますが、元は囲碁の家元の名を指していたそうです。華道における“池坊”と同様です。ところが、この家元本因坊も、実はその由来がある寺の塔頭名からきているといいます。
前回の話で出てきました三条通りの北側にやはり東西に走る仁王門通りというのがあります。平安神宮の南側にある図書館、美術館あるいは動物園が並ぶ位置のすぐ南にある通りが仁王門通りです。仁王門通りが南北に走る東大路通りと交差する位置から西側は道幅が狭くなりますが、その道を少し歩くと、左手に“寂光寺”というお寺が見つかります。
このお寺は、京都に遊びに来られた人で、もし囲碁ファンでもあるならば、一度は表敬訪問した方がいいと思いますよ。
安土桃山時代に、寂光寺の塔頭本因坊に住む算砂という囲碁の名人がいたそうです。信長をはじめ、秀吉も家康も算砂に囲碁の手ほどきを受け、彼は囲碁指南役として禄まで与えられていたそうです。囲碁の世界では、この本因坊算砂をもって日本のプロ棋士第一号とされているそうです。
算砂の後、二世、三世と本因坊の名が世襲され、家元制度ができあがったそうです。家元制度の本因坊が囲碁タイトル戦名に変更されたのは、昭和の時代になってからだそうです。
今、寂光寺境内の一角には、本因坊算砂をはじめ、四世までの本因坊の墓があります(下写真)。
2010年8月記