FEMINGWAY 〜有限要素法解析など構造設計にまつわる数理エッセイ〜

第8話 幕間の話 – 古本散策

京都では、春、夏、秋と年に3度、場所を変えて“古本祭り”と銘打った古本市が開催されています。大阪では、古本市が年に何回も開催されているようですが、大阪まで出かけるのは億劫なので、そちらはほとんど出かけたことはありません。地元京都の方は、毎度、古本散策を楽しんでいます。今年(2012年)も、5月のゴルデンウィークに開催された春の古本市をのぞいて来ました。

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総数約50万冊ということで、ざっと一覧するだけでも最低2時間ほどはかかりますので正直疲れます。冊数だけで言えば、今では1店舗だけで100万冊を優に超える巨大書店もある時代ですが、書店の場合は、きちんとジャンル別に整理分類されていますので、関心を持つコーナーだけの本を手に取るだけですから疲れるということはないですね。

宗教書、芸術書といった高尚な書籍は、私の柄ではないので、そういった書籍コーナーは素通りするとしても、私が関心を持つ文芸・歴史の人文科学系の書籍は、古本マーケットでもメジャー分野の一つですから、相当数の本が並んでいます。それゆえ結構な数の書籍群を渉猟することになります。さらに私には、自然科学系というもう一つの気になるジャンルもありますので、この分野の本も見逃すことはできません。そんなことで多くの本を相手にして疲れることになるのですが、これが、真夏に下鴨神社の境内で開催される夏の古本市ともなると、冊数ももっと多い感じで、おまけに暑い時期ということもあって、一周し終った時には、ほんとうにぐったりとなります。

インターネット時代、何もわざわざ疲れに出かけなくてもネット販売で古本を手に入れることができるのに、と読者に言われそうですが、手にするまで全くその存在を知らなかった掘り出し物を見つけた時の感激はひとしおというものです。ネット販売での古本購入も、何度も利用していますが、この場合、本の中身や体裁が予め分かっているケースが-たとえ絶版本であっても既に図書館などで一瞥している本-ほとんどだと思います。やはり、掘り出し物の古本を手に取る感激は古書店でしか味わえないものでないでしょうか。

工学書などの専門書や数学・物理の自然科学系の古本といえば、マーケットが小さいということもあってか、こういった古本市では、ほとんど出展物がないですね。それでも、何度も通っているうちに思わぬ出会いがあって、シメタと思うことも何度か経験しました。“空気力学の歴史(J.D.アンダーソンJr.著、織田剛訳、京都大学出版会)”という結構値の張る新刊が発刊早々に半額で手に入った時などは、してやったりの気持ちでした。

 

さて、私は既に断捨離を考えなければいけない年頃になりました。若いころからの読書好きゆえ、自宅が本で溢れかえる度に、古書店に不要となった本を-本当は手元に置いておきたい本なのですが、無理に不要だと信じこませた本たち-運んでは処分してきました。おそらく、今の蔵書数と同じぐらいの本を処分してきましたが、それでも今も結構な蔵書数となっています。私の死後、残った家族が本の処分に困ってはいけないと思い、なるべく新刊本の購入を控え、ここ何年か蔵書の中からもぼちぼちと手放しているのですが、古本市に行った帰りには何冊かの本を手にしているものですから、一向に蔵書数が減らないというのが現況です。

 

ところで、古本も購入する際は、それなりの費用の覚悟を要しますが、売却する際は、全く情けない思いがしますね。先日も、某大手の古本業者に90冊ほどの本を売却したところ、2千円にもなりませんでした。銀行預金の金利と同じで、古本の引き取り価格も今昔の感がありますね。

35年ほど前、その当時私は、大阪・梅田駅で阪急電車を利用する状況にありました。電車内で読み終わった文庫小説がきれいに保存されていれば(くわえて流行作家の本)、駅構内の売店で、たしか定価の2割ほどで引き取ってくれていたことを思い出します。古き良き時代でした(笑)。

2012年6月記

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