第55話 19世紀のプログラマー(父の巻)
唐突で恐縮しますが、読者は次の英文を覚えておられるでしょうか。
I awoke and found myself famous
(朝、目を覚ますと有名になっていた)
これは英国の詩人バイロンが青年期、大陸での旅見聞を材料にした作品が大成功をおさめたときの感想文だそうです。大学受験生の英語の勉強では一度は目にしておられると思いますが。明治の歌人与謝野鉄幹が「妻を娶らば才たけて…」で始まる“人を恋いうる歌”の中で「ああ、われダンテの鬼才なくバイロン、ハイネの熱なくも…」と謳いあげたあのバイロンです。
バイロン(Byron;英1788-1824)はシェリー、キーツと並んで19世紀初頭、英国ロマン派詩人のトリオといわれています。このトリオ、何かと後世の人間に話題を提供してくれています。バイロン36歳(病死)、シェリー30歳(ヨット転覆による溺死)、キーツ25歳(病死)と共通する短い人生からして話題性があります。特に36歳のバイロンの死は次回の話の最後まで記憶されたし。
ついでに、英文をもう1つ。
If winter comes, can spring be far behind
(冬来たりなば、春遠からず)
訳文の方が原文を勝っている感もありますが、原文はシェリーの作であり、こちらも英文鑑賞では有名な文であることはご存知でしょう。
さて、今回はバイロンの話からはじめましょう。
「事実は小説より奇なり」という格言は、実はバイロンが彼の作品の中でしたためたものが後世に流布したものだそうです。バイロンは貴族の家系の出身で、その地位を存分に活かした短い人生を送っていますが、その一生はまさにその格言どおりの人生でもありました。
まず、生まれながらの足の障害と冷酷ともいえる母親の存在が、少なからず彼の人生に影を落としています。借金、放縦、女性遍歴とおよそ古い時代の詩人の資格を充分に備えており、父親譲りの破滅的人生でもありました。特に女性に関しては半端ではなく漁色家ともいえました。
27歳の時、やはり貴族出のアナベラと生涯唯一の結婚をするのですが、実はその直前に、亭主持ちの異母姉オーガスタとの間で近親相姦をやらかしてしまい子供までもうけています。このオーガスタへの愛情はバイロンのその後の人生においても続くことになります。
オーガスタとのこともあって、不幸な結婚は1年しか持ちませんでした。離婚時には既に、ある朝ロンドン中で有名になっていたバイロンも今度は非難囂々の的になってしまい、母国から逃避せざるを得ない羽目になってしまいました。
余談になりますが、このときの逃避行中、スイスのジュネーブ湖畔でバイロンはシェリー夫妻と偶然出会います。しばらくの滞在中の時間つぶしに語り合った中から、あのフランケンシュタインが生まれています。この怪物はシェリーの奥さんメアリーが書いた小説で、時に彼女は18歳だったといいます。
ところで、フランケンシュタインという名をメアリーは怪物を作った科学者の名前につけたのであってモンスターの名ではないことを読者はご存知でしょうか。モンスター自身の名前に取られてしまったのは20世紀に入って映画に登場した時からだそうです。
余談ついでにさらに余談を続けますと、バイロンという人はよほど怪奇ものに縁があったみたいです。吸血鬼ドラキュラも、その原形はバイロンの逃避行初期の同伴者だった主治医が創作したものらしいのです。
閑話休題。バイロンの最晩年はそれまでの人生とずいぶん違っています。しばらく、イタリアの各地を転々としていたのですが、オスマン・トルコの支配下にあったギリシャの独立戦争を知り、トルコからの解放運動に身を投じることになります。死期が迫っていたのを知っていたのか、はたまた、敬愛していた同時代の英雄ナポレオンを気取ったのでしょうか。それを可能にしたのは母国での領土を処分して得た豊富な財力でした。ギリシャ解放委員の委員長に祭り上げられ、戦い半ばで病死してしまいます。ギリシャでは国葬をもって彼に報いたそうです。祖国を出奔してから一度も帰国することはなく、帰ったときは屍の身でした。
実はこのバイロンと長じては一度も顔を合わせたことが無い彼の実の娘が、人類最初のプログラマーといわれている人であります。彼女のことは次回で紹介することにします。
2008年5月記