第54話 静力学の夜明け
昨年(2007)の初夏だったと記憶しますが、チモシェンコの名著“材料力学史”が復刊されてうれしく思ったものです。日本語での初版が昭和49年に出ていますから33年ぶりの復刊ですね。
たしか、高校教育では数学や物理といった理系科目の啓蒙活動の1つに、数学史や科学史の教科書が用意されていると聞いています。定理、定説あるいは公式類の由来を垣間見ることは、それらの理解を深める上でいいことだと思います。また、偉大な天才たちも、実は一人の人間だったと知ることは勉強への励みともなりますね。
質点系の力学や剛体力学、いわゆる一般力学の歴史は物理学史の中で見ることができるのですが、弾性体までを対象とした材料力学の歴史を若い人が知ろうとすれば日本では冒頭の書籍以外皆無なので、この分野に携わる人間としては、出版社の鹿島出版会に感謝するとともに出版を継続して欲しいと願っています。
筆者は初版の材料力学史を時折ひも解いているのですが、そのたびに不思議に思うことがあります。材料力学という科学の濫觴がガリレイにあるとして、第1章をガリレオから始め、その夜明け前の歴史としてレオナルド・ダ・ヴィンチのことを少し言及しているのはいいとして、シモン・ステヴィンのことがひと言もこの本に出てこないのはどういうわけであろうと。この本に限らず、古典力学の書物にステヴィンの名が登場するのはそんなに多くはないようです1 。彼の功績からして随分損をしていて気の毒に思ってしまうほどです。
筆者がステヴィンの名を初めて知ったのはエルンスト・マッハの有名な本、“マッハの力学史”でした。チモシェンコの本と違って、マッハの方はステヴィンのことに触れているどころか、彼のことを評価している文脈であり、ステヴィンの思考過程をマッハが代弁しているかの書き方であります。
マッハの本では斜面の力学から力の平行四辺形原理にいたるステヴィンの功績を挙げていますが、古典力学にとって公理のような“力の平行四辺形原理”を言い始めたのは実際、ステヴィンのことのようです。
力を幾何ベクトル表現し、その合成・分解方法を初めて明記したのですから、これは力学史では特筆すべきことなのに、どうも応用力学の教科書にはステヴィンの名前が出ていることが少なく思います。この不当ともいえる扱いは、物理の中で力の平行四辺形原理と同程度の重要で素朴な別の原理を挙げればよく分かります。われわれは、“梃子の原理”や“浮力”のことをいうとき、アルキメデスの名を浮かべ、“圧力の原理”ではパスカルの名を思い浮かべます。しかし、“力の平行四辺形原理”をいうとき、一体何人の人がステヴィンの名を思い浮かべるでしょうか。
シモン・ステヴィン(Stevin:蘭1548-1620)は、彼の科学での活躍拠点がオランダであったのでオランダの科学者として扱われますが、生まれはベルギーのブルッヘという所です。ガリレオをより16年前の生誕でした。
オランダの地へ移る以前のステヴィンは、商会での事務をしたり、税理事務所の簿記を担当したりして糊口をしのいでいたらしいです。この時期、税の計算をしていたことが、後年、彼の科学界への功績の1つともなっている数字の10進表記の創始につながっています。
理由はよく分からないのですが、ステヴィンはやがてオランダへ移動しライデン大学に入学します。実に35歳の時といいます。このライデン大学での、ある人物との出会いが彼の後半生を決定づけました。
既にオランダと言ってしまいましたが、実はこの当時、まだオランダ国は存在していません。この地域はスペイン統治下にあって、独立前夜の時代でした。西欧史でその名を目にするオレンジ公ウィリアム1世および彼の息子たちが、スペインからの独立を図って戦っていたのです。そして、ステヴィンがライデン大学で出会ったというのがウィリアム1世の次男だったのです。ステヴィンはこのプリンスの友達になるとともに数学の家庭教師もやり、後にプリンスが王を継いだときは、その能力を買われて軍事顧問を務めることになります。このプリンスはなかなか理系人間で、戦時での戦略、戦術を重視し、その戦略論は周辺国の模範とされるのですが、その背景にはステヴィンの力が発揮されていたのです。
科学者としてのステヴィンは単なる学者というわけではなく技術者としての能力も発揮し、彼が記述するドキュメント類は、実務家がよく理解できて利用できるような記述内容でした。彼の科学には常に、事務員、技術者、航海者を頭に浮かべていたといいます。その意味で典型的な応用数学者のタイプでした。
最後に、ステヴィンの“力の平行四辺形原理”以外の功績で科学史に記載されている特筆3点を挙げて終わることにしましょう。
1つは、静水力学における静水圧の問題です。静水圧は構造の形状に関係なく水面からの深さのみで決まることを最初に唱えたのもステヴィンとのことです。
2つ目は自由落下の問題です。落下時間が落下物体の重さに関係しない実験をガリレオの有名なピサの斜塔実験(この実験そのものの真相は疑問らしい)よりも前に行って確認しています。もっとも、ステヴィンよりも前に実験をした人もいるらしいですが。
3つ目は、ここにも名が出てくるのかと思ってしまう数学の分野です。前にもちょっと触れましたが、10進数表記のことです。ステヴィンの活動時代以前の西欧圏では数学はアラビア文明圏からは遅れをとっていました。数字表記が古い体系のままだったので計算が面倒であり、銀行家、事務屋さんといった計算が日常必要だった人たちの間では予め用意された数表をよく利用していたようです。ステヴィンが金利表を作成して、この分野の人たちにも貢献していた歴史もあります。
10進数表記や小数表記を西欧に広めた貢献度の高い人がステヴィンというわけです。ただし、ステヴィンの10進数表現ではまだ難があり、小数点の導入でそれを確固たるものにした人は対数の創始者でもあるスコットランドの人ネイピアとのことです。
2008年4月記
- 2009年10月、“科学革命の先駆者シモン・ステヴィン”というステヴィンの伝記ともいうべき訳本が朝倉書店から出版されています。価格(¥71,40)から想定できるようにかなりの大部の本です。 [↩]