第33話 流体で名を残した構造理論家
アメリカの実業家クレイ氏により投資設立されたのでクレイ数学研究所と名づけられた数学振興目的の機関があります。当研究所が2000年5月、数学の未解決問題7テーマを選択して全世界にその解決を呼びかけました。それぞれの解決者には賞金100万ドルを贈呈することも付け加えて。その後、“ミレニアム問題”と呼ばれた問題であります。
発表舞台をパリにしたのも演出効果を高めました。ちょうど100年前、ドイツのヒルベルトが第2回数学者会議で発表した数学史上有名な“ヒルベルトの23の問題”の舞台もパリだったのです。
ミレニアム問題の中には数学者の間では最重要問題とされる“リーマン予想”が入っています(第3話参照)。この問題はもちろん、ヒルベルトの23問題の中にも入っていますので世紀をまたぐ難題中の難題のようです。
さて、工学方面の人間にも関心が持てそうな問題も一つミレニアム問題の中に入っていますよ。流体力学で有名な“ナヴィエ-ストークスの方程式”です。この方程式は、果たして解の存在が保証できるのかどうか問われています。もちろん、工学の設計現場では数値的解法、近似的解法でナヴィエ-ストークスの方程式を利用しているので、ミレニアム問題が解決されないと困るという差し迫った実用上の問題はないのですが。
しかし、ナヴィエ-ストークスの方程式は非線形の方程式です。ある場面で解が爆発するとも限りません。だいいち、常に解が存在するのかどうかさえ誰も知らないのです。ナヴィエ-ストークス方程式の解の存在有無を数学的に論証するという問題がミレニアム問題の1つとして、堂々とエントリーされているのです。
ところで、この有名な方程式には二人の科学者の名が冠されていますね。ストークス(Stokes;英1819-1903)の方はイギリスの有名な数理物理学者で、粘性のキーワードでよく参考書に登場する人です。また、ベクトル解析における公式で、面積分から線積分へと次元を1つ落とす有名な“グリーン-ストークスの定理”でも分かるとおり数学者でもありました。
余談になりますが、ストークスの定理をベクトル解析内での一定理と考えているととんでもないですよ。現代数学では非常に重要な定理と考えられているようです。微分形式理論という数学ではガウスの定理をも飲み込んだ形式で表現されています。現在の数学者に重要な定理を挙げてくれというアンケートを取ったとしたら、必ずストークスの定理が入っているといわれるほどです。
閑話休題。一方、ナヴィエ(Navier; 仏1785-1836)の方です。こちらはあまり知られていないのではと想像します。有名過ぎる方程式の名に冠されているわりには科学関係の人名辞典にも出ていないし、日本で出版されている書籍には、まとまってナヴィエのことが記載されているものはほとんどありませんね。筆者の知る限りでは、和書ではチモシェンコ著の“材料力学史”で数ページに紹介されたもの、またはそれを下敷きにしたと思われる他の書物だけであります。
流体力学の方程式で名を残したナヴィエは、実は本業が建設エンジニアなのです。彼と同じくフランスで50年ほど後輩のエッフェルほど有名にはならなかったのですが、彼も橋梁エンジニアだったのです。ただ、エッフェルが実務家だったのに対し、ナヴィエは実務家も兼ねた理論家でもありました。事実、われわれが現在、材料力学、構造力学と呼んでいる教科書で採用されている諸式はナヴィエから出発しているものが多いのです。
ナヴィエが登場するまでのフランスでの土木分野といえば、経験だけで道路、橋梁を建設することがほとんどで、ナヴィエの50年ほど先輩のクーロンがある程度の構造理論を公表していましたが、一般の設計者まではなかなか普及していなかったのが実状だったようです。
ナヴィエはクーロン他の先輩たちが残した力学理論に注釈を加えて整理していきました。その中から、“梁の平面保持の仮定”や今日使用されている中立軸の定義が生まれてきたのです。記憶力のいい人は前者の平面保持の仮定にナヴィエの名が付いていたことを覚えておられることでしょう。
橋梁設計者としてのナヴィエには、彼の責任ではないとしても、1つ不名誉なエピソードがあります。彼は一時期、渡英して母国にはなかったつり橋を初めて目にすることになります。そのつり橋にいたく感心したナヴィエ、それを自国にも普及させようとしました。
さっそく、セーヌ川につり橋を架ける設計、施工を担当しましたが、その工事途中、不幸にも橋脚近くにあった下水渠が破裂し、その影響でケーブルアンカー部が動いてしまったのです。結局、そのつり橋は撤去されることになり完成をみなかったそうです。 ナヴィエにはもう1つエピソードがあります。それも、彼の名を後世に残したナヴィエ-ストークスの方程式に関するものです。先にも述べましたが、ナヴィエは理論家でもあり、当時の弾性学、流体力学の進展にも貢献しています。
彼は非圧縮、非粘性の条件でオイラーが既に定式化していた流体の方程式、いわゆるオイラーの方程式に対して粘性項も追加しました。それで、この方程式が後にナヴィエ-ストークスの方程式と呼ばれることになったのですが、実は彼は流体の粘性を正しくは捉えていなかったのです。せん断応力の概念を理解せず、現在では認められない(連続体モデルでの)流体分子間の力というものを考慮して粘性を捉えたのです。誘導途中が間違っていたにもかかわらず、結果の式は正しい形になるという幸運さがありました。
数学的にすっきりとナヴィエ-ストークス方程式をまとめあげたのはストークスだったということです。
2005年10月記