FEMINGWAY 〜有限要素法解析など構造設計にまつわる数理エッセイ〜

第26話 ET の争い

滑走路がいらなくて、垂直に離着陸できるVTOLと呼ばれる飛行機と、電磁系単位の1つに使用されている人物テスラとが結びつく人はまれでしょう。ライト兄弟がテスト飛行をしている時期に早くも後に言うVTOL を、自分の考えたタービンで飛ばすアイデアを考えたのは、超人的発明王テスラだとのことです。特許まで持っていたといいます。

テスラ(Tesla, Nikola;ク1856-1943)は旧ユーゴスラビアのクロアチアで生まれ、20代半ばまでヨーロッパにいましたが、エジソンにあこがれてアメリカへ移民することになります。渡米前、既に交流システムのアイデアを生んでおり、それが彼を発明家として世間に知らしめる第一歩でした。

面白いのは、アメリカに渡った最初のころ、エジソンの会社に勤めたのですが、直流派のエジソンと交流派のテスラは当然のように喧嘩別れしてしまったことです。その後もエジソン(E)の直流とテスラ(T)の交流は覇権を争って丁丁発止したそうです。まさにET 戦争でした。

エジソン側は随分といやがらせをしたそうです。実はテスラは交流システムの使用権利をウェスティングハウス社に売ってしまったのですが、後に電気椅子の電気に交流が使われ始めると、エジソン側は死刑になることを“ウェスティングハウスされる”と吹聴したそうです。

特許件数こそエジソンに譲るものの、そのスケールの大きさと時代を飛び抜けていたアイデアを生み出す頭脳は、テスラはまさに超人でした。エジソンは実用を重んじた発明家でしたが、テスラは科学者も同居した発明家でした。われわれは無線システムの発明はイタリア人マルコーニによると教えられましたが、実はこれもテスラが最初であったといわれているようです。

その功績からして後世にもっと知られていいはずの発明王テスラが実際には、子ども向け伝記での定番の人になったエジソンとは知名度において雲泥の差をつけられていますね。子ども向け伝記でのレギュラーメンバーは強い。

余談になりますが、今秋(2004年)、紙幣の顔に野口英世が登場するといいます。彼もまた子ども向け伝記でずいぶん得をした人です。たしかに、頭脳優秀でがんばり屋、そして大の母親思いの人でした。さらに、有名な幼少時の身体的不幸とアフリカでの客死というドラマチックな人生がありました。これが、戦前の修身教科書にはもってこいの人物となり、実像以上に美化された立志伝中の人物となったのです。そのまま戦後の子ども向け伝記にも引き継がれています。

でも実際の野口英世といえば性格面で調子のいいところがあり、要領よく振る舞う人物でもありました。若い頃の生活は調子のよさで渡米旅費などの借金をせがむ連続であり、その借金を吉原で使い果たしたこともありました。研究面においても虚栄心が強く、いささか強引な性格面が出ていました。野口が活躍した時期はウィルスが発見される以前ということもあって、彼の発見説には結構間違いもありました。これも研究面での強引な性格が裏目に出たゆえです。

閑話休題。テスラは生涯独身を通し、アメリカでの生活は生涯ホテル住まいでした。ホテル生活は死ぬまで続いたそうです。そんな奇人ぶりと、科学者としてはいわゆる、マッドサイエンティスト(真偽のほどは分からないですが、映画“バック・トゥー・ザ・フューチャー”に登場する主人公の友達である科学者はテスラがモデルという話もあります)として世間に評価されてしまったものですから、子ども向け伝記にはお呼びも掛からなかったわけなのでしょう。

さらに、エジソンの発明が電球、映画、蓄音機というように一般大衆に近いものであったのに比べて、テスラの発明は企業サイドに受け入れられた工業製品であったという不運さもあるのではないでしょうか。

墓場に眠るテスラに不運の追い討ちをかけるような事件が10年ほど前(2004年当時)に起きました。オウム真理教の教団員がテスラの考えたという地震兵器の情報を得ようと、現在ベオグラードにあるテスラ博物館を訪れたといいます。常に付きがちのテスラへの負のイメージがいまだ続いているようで、気の毒な具合です。

SI 単位系での磁束密度の単位が従来のガウスからテスラへ変更にならなかったら、ほとんどの人は彼の名を知らずにいたことでしょう。

2004年7月記

Advertisement

コメントを残す

ページ上部へ