第12話 “館”は前か後ろか
日本が西欧の近代文明を輸入して以来、何度か漢字の廃止論が出ていますね。それも著名な知識人が率先して提案するものですから、一蹴できるような議論でもなかったようです。
最初の提案者は、郵便事業の創始者前島密(1853-1919)だったようです。彼は、大阪遷都に傾いていた、時の実力者大久保利通をして東京遷都に変更させたという例にもあるようになかなかのプロポーザーでした。
その後もわれわれのよく知る人物では、初代文部大臣(この時代では文部卿)森有礼(1847-1889)、作家の志賀直哉(1883-1971)と続きます。森などは「日本の国語を英語に変えろ」とまで言っていたそうです。いかにも洋行帰りの知識人の発言です。
さて、ここで登場する田中館愛橘(1856-1952)も漢字廃止論者の一人でした。筆者は高校歴史の教科書で初めて見たこの人の名を語るとき、恥ずかしい告白をせねばなりません。この人の姓をてっきり、田中(たなか)、名を館愛橘(だてあいきつ)と思い込み、つい最近までそう信じていたのです。その間違いに気づいたのは、たまたま、この人と同郷(岩手県福岡。現在は二戸市)の訪問者と話し込んでいたときでした。なんと、姓は田中館(たなかだて)で名が愛橘(あいきつ)であることを知らされました。汗顔の至りです。
田中館は東京大学物理学科の第一期生であり、重力、地磁気の研究を行い、日本の近代物理学の草創期に活躍した地球物理学者でありました。
後年、周囲の人たちに学校教育を語るとき、マクスウェル(Maxwell;英1831-1879)が14歳で学士院に論文を提出したことを引き合いに出して、「言偏、人偏に何年も費やす日本の教育に問題がある」として、ローマ字の普及に力を注いだということです。
そういえば、アインシュタインも「大昔の出来事を暗記するような歴史教育は時間の無駄である」という意見を持っていました(寺田寅彦全集、“アインシュタインの教育観”より)。少年時、暗記のために割く時間がもったいないものに映るのは、一流科学者の共通の考えなのでしょうか。
以下、余談です。
田中館は若いころ、私費で英国グラスゴー大学にいる大物物理学者ケルヴィン(Kelvin;英1824-1907)のもとへ留学しています。東大在学中に学んだお雇い外国人教師ユーイング(Ewing;英1855-1935)の先生がケルヴィンだったからです。この当時、日本にはたくさんのお雇い外国人教師が日本に来ていました。科学方面ではケルヴィンの声のかかった人たちが多くいたようで、日本政府は彼に感謝して、明治34年(1901)勲一等瑞宝章をケルヴィンに授与した歴史があります。
2002年7月記