FEMINGWAY 〜有限要素法解析など構造設計にまつわる数理エッセイ〜

第9話 いじめで名を残す

歌手の世界では一発屋という言葉がありますね。1曲だけヒットして後はさっぱりという意味でしょうが、聞き手にしてみたらその1曲でしかその歌手のことを知らないわけです。筆者にとって、最近まで仕事面での一発屋の一人が数学者クロネッカーでした。もちろん、上でいう後者の意味で。

幾何学的であれ材料的であれ、非線形の力学を修得しようとすると、固体力学もしくは連続体力学の参考書をひも解かなければなりません。さらに、それらの力学での数学的道具がテンソル解析であり、それのある程度の理解は必須と言っていいでしょう。そして、すべてと言っていいくらいテンソル解析の解説書の冒頭部ではクロネッカーのデルタ記号δijが出てきます。

デルタ記号(δ)は人気がありますね。パルス的な関数の積分では、量子力学分野で有名な天才ディラック(Dirac;英1902-1984)が創造したというディラックのデルタ関数δというのがありますよね。これの意味もなんだかクロネッカーのデルタ記号δij とよく似ていますね。

非常に単純で、貴重で、重宝するクロネッカーのデルタ記号δij を多く目にするわりに筆者はクロネッカー(Kronecker;独1832-1891)自身については何も知りませんでした。

歴史好きな筆者の癖として、こういう場合、たいていはその人物像を調べるのですが、最近まで手を抜いていました。というのも、数学者の伝記を扱った本を見ても日本ではクロネッカー単独のページがなく(唯一、ベル著の有名な“数学を作った人々”にある)、つい見逃していたのです。

むしろ、ドイツ数学の同時代を生きた、解析学の大家ワイエルシュトラスや集合論の創始者カントールとの絡みで登場することが多く、彼らのページに多く書かれていたのです。そうかと言って、クロネッカーが脇役程度の数学者だったのかというと、それはとんでもない話で、むしろ一流の数学者だったのです。それだからこそ、後述するようにワイエルシュトラスやカントールがそのクロネッカーの存在に悩まされることになるのです。

クロネッカーはガウスの後継者が綺羅星のごとく林立していたドイツ数学史の中に生きた数学者です。特に整数論には造詣が深かったようです。面白いエピソードでは“クロネッカーの青春の夢”というのがあります。それは彼が提示した難問が当時の西欧の数学者たちにはお手上げで、そう名づけて投げ出した格好になっていたのですが、なんと、第1話で登場願ったわが日本の高木貞治が解いてしまったそうです。

また、明治初期、高木よりも先輩格の藤沢利喜太郎がドイツに留学した際、クロネッカーに師事し、クロネッカーの数学を日本へ持ち帰ったので、その後の日本の数学教育はクロネッカー流が続いたそうです。そういうわけで、何かと日本に縁があった数学者だったのです。

ところで、クロネッカーの話はこれで終わりません。ここからが今回のテーマなのです。調べれば調べるほどクロネッカーは特異な数学者だったのです。何が特異かと言えば、次の2つに集約できると思います。

  • 抽象的概念に耽り、浮世離れした生活を送る数学者が多い中にあって彼は優秀な事業経営者でもあり、かなり裕福な数学者であった。
  • 自己の価値観にあわないものは徹底して毛嫌いした。同僚であろうが、先輩であろうが自己の数学に合わないものは、敵対するかのように徹底して批判していじめた。

筆者の考えるところ、上の2つは大いに関係しているように思います。成功した経営者によくあるように、自己の人生に自信を持っている人は自分の価値観に合わないものは認めないという傾向です。

数学者クロネッカーにとって、価値ある数学とは何かと言えば数論に他ならないのです。彼の有名な名言に

自然数は神が創り給うた。
他の数は人間が勝手に作ったものである。

があります。

こんな調子だから、彼は整数の世界しか数学を価値あるものと認めず、微積分を扱う解析の世界はほとんど馬鹿にしていて、その面での重要な証明がなされても、何ほどの価値があるのかとせせら笑っていたといいます。

9-1

一時期、彼の弟子となっていた数学者に、集合論を創始した有名なカントール(Cantor;独1845-1918)がいました。無限の概念を扱うものだから、「そんな数学は認められない」と、カントールはクロネッカーの刃の餌食になってしまいました。授業中でも学生を前にして徹底的なカントール批判が展開されたそうです。

クロネッカーによるカントールへのいじめ問題は、数学史上の一コマを彩るドラマであったようです。もともと、精神的に病弱な性質だったカントールは、クロネッカーのいじめもあって精神病院に入ることになり、そこが終の棲家となってしまいました。もっとも、クロネッカーでなくともカントールの集合論は難解であったため、同時代の数学者には理解されなかったようで、なんとも気の毒な人生だったことか。

さて、クロネッカーのいじめは連続概念での“切断論”で有名なデデキント(Dedekind;独1831-1916)にも向けられ、さらには彼の先輩格でもあるワイエルシュトラス(Weierstrass;独1815-1897)にも向けられたといいます。ワイエルシュトラスといえば数学史を飾るドイツの大数学者です。なんとも恐れ入る行動力ですね。

後世の人はクロネッカーを懐疑派の数学者と呼びます。数学にとって懐疑することは非常に重要なことであります。彼の死後、その懐疑によって彼がそのいじめのより所としていた自己の数学もまた、根底から揺るがせられることになります。そのことを知らないでこの世を去ったクロネッカーは幸せであり自信満々の一生を送ったものです。

2001年8月記

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