FEMINGWAY 〜有限要素法解析など構造設計にまつわる数理エッセイ〜

第1話 L とG のバラード

理工系の学生ですら数学を避けてしまう昨今でしょうから、“高木貞治”と言ってもピンとこない工学系出身の人も多いのではないでしょうか。

筆者が初めて大学の数学に接した頃は、この人の名著である“解析概論”を勉強することを勧められました。この本を持っているというだけで一つのステータスシンボルになっていましたが、今はどうなのでしょう。

フィールズ賞選考委員になったこともある、日本の誇る数学者の名前を目にするとき、筆者はいつも不思議でならない歴史の不連続というものを感じます。どの学問の進歩であれ、それは先人たちが築いてきた土壌の上に成り立つものではないでしょうか。

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高木貞治は明治8年、岐阜県の片田舎に生まれました。夏目漱石の描く“三四郎”のごとく、当時の知識人のお決まりコースである東京帝国大学入学のために上京します。卒業後は大学院へ進学しますが、その在学中にドイツへ留学することになります。

ドイツでは20世紀最高の数学者の一人といわれたゲッチンゲン大学のヒルベルト(D. Hilbert;独1862-1943)に就きました1 。世界の数学者からはヒルベルトの後継者の一人と見られ、日本の数学を一躍世界レベルに持ち上げたのです。江戸時代から和算の伝統はありましたが、近代的数学の土壌は何もなかった日本の一青年が突如と言ってもいいくらいこれを成し遂げたのです。歴史の一幕にはこんなこともあるんですね。

高木貞治は結構、長命の人であり、昭和35年に亡くなるまでにいくつかの著作物がありますが、その中で昭和8年に執筆された“近世数学史談”という本があります。

これが、なかなか面白い本で、われわれ工学出身者にも馴染みのある数学者の人物、業績が含蓄ある文章で書かれています。何しろ、昭和初期の執筆ですから、やや古風な文体ですが、現代人でも充分読める文章であり、著者一流の表現力には思わずうなされてしまいます。以前から岩波文庫で出版されていますし、先年、共立出版社から復刻版も出されていますので、数学史に興味ある方は是非、ご一読をお勧めします。

さて、この本の中に“三つのL”という小節があります。また、L との対比としてG も出てきます。三つのL というのは革命前後に活躍していたフランスの大数学者3人のことで、ラグランジュ(Lagrange;仏1736-1813)、ラプラス(Laplace; 仏1749-1827)、ルジャンドル(Legendre;仏1752-1833)の頭文字Lのことを言っています。G はかの有名なドイツの数学者ガウス(Gauss;独1777-1855)のことです。

この小節では3人のL の中でも最後のL であるルジャンドルと、ガウスとの関係について非常に興味深い話が載っています。この話はどうやら、“クラインの壺”で有名なドイツの数学者フェリックス・クライン(F. Klein;独1849-1925)の著書である“19世紀の数学”を下敷きにしているようです。

ルジャンドルの生涯を眺めれば、不遇と不運の一生であったようです。有名な化学者ラヴォアジェ(Lavoisier;仏1743-1794)がギロチンの露と消えたように、科学者も政治に無縁であり得なかったフランスのこの時代に、ルジャンドルは思想的には極力、中立を保ち続けた孤高の数学者でありました。そのためもあってか、時の政府からは冷や飯を食わされ、年金の支給を打ち切られたこともあったといいます。

不運の中でも最大の不運といえば、彼の選んだ研究分野が、不思議な糸で結ばれるようにことごとくG、すなわちガウスと接触していたことです。整数論に始まって幾何学、解析学、測地学、天文学と不思議と重なっているのです。

なにしろ相手はアルキメデス、ニュートンと並んで西欧では三天才と言われているガウスのことです。すべての分野において、L はG の深さに遠く及ばなかったのです。

一例をあげるならば、解析学における楕円関数です。ルジャンドルが18世紀の巨匠オイラー(Euler;瑞1707-1783)の仕事を引き継ぎ、楕円積分にアタックして行き詰まってしまうのに対し、ガウスは逆関数である楕円関数(楕円関数はインターネット上の電子商取引で何かと話題となっている暗号作成方法で昨今、新聞紙上によく登場していますね)の方を初めから対象とし、決して行き詰まらなかったそうです。

「気まぐれな歴史がときおり見せてくれる面白い芝居であり、新しい時代は新しい人物によって興るが、過ぎ行く時代を代表する人物を演じたのがルジャンドルであり、新旧分岐の場面である」と高木貞治は“近世数学史談”の小節を結んでいます。あたかも分水嶺を境にして両側に立つ二人を描くように。

L とG の話はさらにあります。

工学関係者には身近な数学である数値積分でも、両者は接触しているのです。いわゆる、ガウスの数値積分と言われているものです。浅学なる筆者はこの積分法にどうしてガウスの名が冠せられているのかよく知りません。ガウスが公式を発見したというのでしょうか。

実はこの公式の誘導にはルジャンドルの多項式が利用されています。それで、正式には“ガウス-ルジャンドルの数値積分”と言うのですが、一般にはルジャンドルの名が落とされて、“ガウスの数値積分”と呼ばれることが多いですね。ここにも、ルジャンドルの不遇の一面を、われわれは見つけることになるのです。

2000年9月 記

  1. 実は、ヒルベルトの所へ行く前にベルリン大学に行っており、そこにいたこれまた有名な数学者フロベニウス(Frobenius;独1849-1917)に就いています。

    フロベニウスは行列の階数概念を導入したりして、行列論で活躍した数学者であり、その名は本書の読者が所属すると予想される応用力学系の世界ではほとんど出てこないと思いますが、どうでしょうか。筆者の知る狭い範囲では一度だけありました。

    変数係数の2階微分方程式を系統的に解く方法として“フロベニウスの方法”というのを勉強したことがあります。級数展開を利用した巧みな方法で、これから“ルジャンドル方程式”、“エルミート方程式”といった数理工学面でおなじみの方程式や直交多項式が誘導されるのです。

    ところで、このフロベニウスは日本人にとってはむかっとするような発言をしていますね。

    「外国からしきりにわがドイツへ科学を勉強に来る。アメリカからも来れば、どこからも来る。近頃は日本人すら来る。今に猿も来るだろう」

    当時のドイツの国力を物語るエピソードです。しかし、高木貞治は別段、フロベニウスに邪魔者扱いされたり嫌われたりしたことはなく、むしろ好意を持って迎えられたようです。 []

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