第7話 終わり/安曇川
司馬遼太郎さんの長編紀行“街道をゆく”の第1巻が出たのが昭和46年のことでした。その後25年間も続く街道物語で、いの一番に採り上げられたのは、“湖西の近江”でした。安曇川もここで、紹介されています。
実は、“街道をゆく”の前触れのように昭和44年に出された“歴史を紀行する”という紀行単行書があります。この中にも近江(滋賀県)が採り上げられています。司馬さんの文章の中で所々書かれていることから想像するに、司馬さんが滋賀県を一番好いていたことは、間違いないですね。
筆者は、学生時代に読んだ“街道をゆく”で初めて、安曇川を知りました。この地のことを書かれるどなたも告白されているように、筆者も長野県松本地方の呼び名、安曇野(あずみの)から、てっきり、あずみがわと思ってしまいましたが、あどがわと呼ぶとのことでした。安曇が古代海洋民族に由来することも、初めて知りました。
さて、筆者の紀行エッセイも一応の最終駅に想定していました安曇川に到着しました。安曇川といえば、前回にも少し出てもらいました近江聖人、中江藤樹の生地であり、彼の書院というのが、今もあります。藤樹と彼の母とのエピソードなどは戦前生まれの方の修身の教科書では定番だったので、よく知られた話だと思います。「俺は戦後生まれだから知らない」と言う方は、ガイドブックか、インターネットで見てください。
湖西線はこの後も続いて北上するのですが、筆者は安曇川以北のどの駅にも降りたことがないので書くネタを持ち合わしておりません。それで、ここで筆を置くことにいたします。
滋賀県と言えば、休日には観光バスが押し寄せてくる、彦根、安土、近江八幡、あるいは長浜を持つ湖東部がメイジャーな地なのでしょう。町興しという観点からは、それはそれでいいのでしょう。
しかし、よそ者の身勝手な思いなのでしょうが、筆者は、自然がそのまま残り、鄙びたままの湖西の近江風景に、どうしても魅力を感じてしまいます。それも、単なる平凡な田舎だとつまらないでしょうが、歴好きの筆者には、脇役の歴史を随所に持っているJR湖西線沿線がなんともいえなく魅力的なのです。
2009年7月 記