FEMINGWAY 〜有限要素法解析など構造設計にまつわる数理エッセイ〜

第16話 大災害の定理

筆者の自宅から徒歩10 分ほどのところに京都御所があります。有名な蛤御門、乾御門などを横目に見て、御所を囲む京都御苑を一回りすれば小一時間掛かりますので、ここは筆者の適度な散歩コースとなっています。散歩途中で、ときおり見かけるのが、砂利道をゆっくりと走る皇宮警察本部のパトロールカーです。

幕末の動乱期、この御所の警備に当たっていたのが奈良県・十津川郷の郷士だった歴史をご存知でしょうか。これは意外な事実と思いませんか。筆者は、映画、“ダ・ヴィンチ・コード”の続編ともいえるトム・ハンクス主演映画“天使と悪魔”を見ていて初めて知ったのですが、バチカン市国の警備を担当していたのがスイスの衛兵だった、というのと何だか似ている意外性ですよね。

 

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さて、先月(2011年)、台風12 号による大雨で紀伊半島がえらい水災害に遭ったのですが、十津川村も例外ではありませんでした1 。というよりも、またもや、という感想を持ちます。

昔、司馬遼太郎さんの“街道をゆく”第12 巻“十津川街道”を読んでいて、その中の一文に目が釘付けになったことがあります。そこには、明治22 年、奈良県の十津川郷に起こった大洪水で村が再起不能となり、二千六百人の村民が村を捨てて新天地の北海道へ移住したというすさまじい歴史の記述がありました。北海道の地図を広げると、札幌市の北にある滝川市の西側の位置に、新十津川町というのがあります。この時の移住で出来た町です。少人数の北海道への移住はそれまでも何度もあったのですが、二千人を超える大移住は前代未聞のことだったようです。

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ところで、今回の十津川郷の土石流災害といい、3 月に起きた東北大地震による津波災害といい、ともに明治20 年代に起きた大災害の再来といえます。実は、明治20 年代というのは、日本の災害史の中でも特筆すべき時期になっているのです。改めて列記してみますと、次のような歴史があります。

■明治21年(1888)会津磐梯山の大爆発 死者461 名
■明治22年(1889)奈良県十津川郷の大水害 死者168名
■明治24年(1891)濃尾大地震(M8.4) 死者7,466名
■明治29年(1896)三陸大津波(M7.6) 死者27,000名

すなわち、今年一年で、明治20年代の大災害のうち既に2つが再来したことになります。「大災害は同じ場所で繰り返す」という「大災害の定理」とでも呼ぶべき定理が地球物理学にはあるかのような地球の酷い活動ですね。

地震、台風、火山爆発と並べると、一番エネルギーを放出するのは火山爆発と聞いています。今年、九州南部にある新燃岳が不気味な噴煙を上げていますが、これも含めて、願わくば、どこかの火山が大噴火しないよう祈るだけです。

2011年10月記

  1. 2014年5月、筆者撮影の現在の十津川郷の風景[追記]
    この年の3年後の現在、2014年も目下災害の多い年のようです。台風災害に加えて、多くのゲリラ豪雨が発生し、特に8月の広島での土砂崩れにより多くの人名が失われたと思ったら、9月には木曽の御嶽山が爆発して、これまた多くの方が亡くなりました。重ねてご冥福をお祈りしたいと思います。
    地震、津波、台風、火山爆発、それに近年は、竜巻にゲリラ豪雨が加わる状況になり、まさに日本列島は世界一の災害大国ではないでしょうか。われわれ日本人は、常にそれを覚悟して生きていかなければならない運命ですね。(2014年9月記) []

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