FEMINGWAY 〜有限要素法解析など構造設計にまつわる数理エッセイ〜

第31話 のこぎり屋根

いつのころからか日経新聞のコラム記事に“けいざい楽校”というのが掲載されています(2005年当時)。これがまた面白くて興味深い内容が多いのです。筆者はいつも感心しているのですが、日経新聞というのは経済専門紙にもかかわらず、文化面の記事が一般紙以上に豊富で内容も充実していると思いますが、読者はどう思われているでしょうか。

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さて、この“けいざい楽校”のいつかの記事に懐かしい“のこぎり屋根”のことが採りあげられていました。筆者の世代では子どもの頃の記憶にある、のこぎり歯のようにギザギサした工場の屋根のことです。あれは屋根の垂直面側に取り付けられた窓からの自然光が安定して得られるということで、特に繊維産業でもてはやされたそうです。そのルーツは英国で、日本では明治時代に輸入して広まったといいます。しばらくは続いたようですが、1960年代以降はほとんど新設はされていないということです。照明の発達で役目を終了したといいます。

ところで、この“のこぎり屋根”の日本でのルーツに関しては筆者にとって懐かしいことが2つもありました。明治15年(1882)、渋沢栄一の肝いりで大阪の地に日本で初めての大規模な紡績会社が設立されました。これが大阪紡績会社、今日の東洋紡績の先祖です。英国の紡績業を模範として作られた工場ですが、支配人として迎えられた山辺丈夫(やまのべたけお)が翌年、この工場にのこぎり屋根を採用したことが日本での先駆けとなったとのことです。 懐かしいことの1つ目はこの大阪紡績の立地場所のことです(現大阪市大正区三軒家)。実はこの場所、筆者が通っていた中学校のほんの近くなのです。たしか、近くにあった公園の隅にその形跡を残す石碑があったと記憶しています。小学校の社会の授業で習った、大阪を表現するときの冠言葉“水の都”とともに“東洋のマンチェスター”というのがありましたが、
この背景には大阪紡績の存在があったのです。

もう1つは山辺丈夫のこと。この人物名を知っている人は相当、歴史に造詣の深い人だと想像します。筆者は大学生の頃、山陽道を一人旅したことがありました。その際、島根県の津和野にも立ち寄りました。そして、そこにあった郷土博物館みたいな所に入ったことがあります。館内には西周、森鴎外といった当地出身の有名人に混じって、山辺丈夫という人がその一人として紹介されていたことを覚えています。もちろん、筆者がこの人物名を知ったのはこのときが初めてでした。

その後、ほとんどその名を見ることも無く、忘れかけていた山辺丈夫を新聞のコラム記事の中で発見し、筆者は津和野へ行った当時を懐かしく思い出しました。

山辺丈夫(1851-1920)は津和野の出身で森鴎外とは親戚筋にあたります。鴎外が自分の周辺の人物の多くをモデルにして著作物を出版していたことはよく知られた事実ですが、不思議と山辺のことは登場しませんね。しかし、山辺は森家にとっては恩人となる人なのです。

狭い町のこと、鴎外は、哲学者で軍の上層部の地位にもいた西周とも親類関係でありました。それで上京後の一時期、鴎外は西家に預けられていたことがあります。その恩ある西周に媒酌人をしてもらった最初の結婚生活を、鴎外は一方的に放棄してしまったことがあります。離縁された奥さんの父親が旧幕府時代からの西周の親友だったという関係もあって西の怒りに触れ、森家は西家から出入り禁止、絶縁を宣告されたらしいのです。西周の死後、両家の復縁の仲立ちをしたのが山辺丈夫だったといいます。

それはさておき、明治の初めに山辺は旧藩主の子息に同行して渡英することになります。ロンドン大学で、はじめは経済学を学んでいたのですが、渋沢栄一の依頼でさらに機械工学も習得するようになります。渋沢の紡績産業育成の思惑があってのことです1

帰国後は上述の通り、大阪紡績の支配人となりますが、その後何度も海外渡航しては先進国の紡織機の機械類を日本に導入しては、紡績産業の発展に力を尽くしました。後年、三重紡績との合併で東洋紡績となったときには初代社長に就くことになります。

近代日本の最初の基幹産業であった繊維産業界を牽引した人が山辺丈夫でありました。彼は非常に廉直な人柄であったといいます。

2005年5月記

  1. 先々月(平成17年3月)、NHK で“明治時代に学ぶ”といったシリーズのスペシャル番組の第1回目が放映されました。これを見ていたら、偶然にも渋沢と山辺の物語が紹介されていました。たぶん、再放送されるでしょうから興味ある人は是非一度、見てください。
    (追記)その後、放送内容が日本放送出版協会より、“明治”というタイトルで全3巻の本が出版されているようです。 []

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