第40話 数学を創った電気技師
有限要素法も大衆化の時代になってくると、メッシュの呪いから逃れるための方策がいろいろと研究されている。新しいテクノロジーを採り入れた先端的な有限要素法がそれである。要素不要の有限要素法というのも、おかしな話だがメッシュフリーと呼ばれる手法、逆に節点接続不要のノードレス法と多彩である。
一方、有限要素法の弱点でもある不連続領域を対象とする解析でも、いろいろ手法が提案されているみたいである。その中の1つに、X-FEM(eXtended-FEM)と呼ばれているものがある。元はと言えば、ノースウェスタン大学の Belytschko 教授が亀裂進展の解析用に開発されたものだけに、不連続面を有する構造解析向けに有効のようである。不連続面から離れた位置での要素では従来の有限要素と全く同じだが、不連続面付近の要素では変位の内挿関数に工夫された関数が採用される。
特別に準備される不連続面あるいは構造境界面付近での変位関数には、あちら側、こちら側を認識させるために、ステップ関数が導入される。ステップ関数というのは下式のようなものだが、これはディラックの δ 関数同様、超関数の一種である。面白いことにステップ関数を微分するとディラックの δ 関数となる(第21話参照)。
ところで、ディラックの δ 関数ほどではないが、このステップ関数も“ヘヴィサイドのステップ関数”と、一人の人物名を冠して呼ばれることが多い。
ヘヴィサイド(Heaviside;英1850-1925)という人は、元々イギリスのしがない電気技師であった。読者は覚えておられるだろうか?たしか、高校の物理教科書の電気回路のところで、“ホイートストン・ブリッジ”という回路が載っていたと思うが、ヘヴィサイドはこのホイートストンの甥にあたるそうである。
1873年、マクスウェルの電磁気学の本が出版されると、これに興味をそそられ、ヘヴィサイドは独学で数学を勉強し始めた。後世のわれわれは、すっきりした形で有名なマクスウェルの電磁方程式を眺めることが出来るが、実はこれ、ドイツのヘルツとともにヘヴィサイドが整理したおかげであるらしい。マクスウェルの段階では、なんと20変数を持つ20元の方程式だったそうだ。これをヘヴィサイドは2変数の4つの方程式にまとめあげたのである。だから、人によっては、教科書に載っている有名なあの式をマクスウェルの方程式ではなく、ヘヴィサイドの方程式であるといっているそうだ。
ヘヴィサイドは技術者であったにもかかわらず、応用数学分野では抜群の才能を持った人で、実用的な数学を次々と創造しているのである。電気回路の理論からは、後世彼の名をゆるぎないものにした演算子法を、ハミルトンの4元数からは、アメリカのギブスとは独立にベクトル解析を創造したという具合に。
しかし、ヘヴィサイドの数学は、個性のきつい記号を使用していたことから、また、数学に厳密性がないため、さらに、おそらくは彼が一技術者であったことから、正統派の数学者からは見向きもされなかった。しばらくは中央の数学界からは無視されていたようである。それでも彼の数学は、実際面で非常に役に立つものだから、どんどん広まっていった。電信工学分野の人たちには彼の書物はバイブルのようであった。
物議を醸した演算子法も、同国のブロムウィッチという数学者がその正当性を証明したりして、彼の数学は徐々に認められていった。このへんの経緯を見ていると、なんだかディラックの δ 関数(第21話)やフーリエ級数(第24話)の歴史とよく似ていることに気付く。応用面から生まれた数学は同じような歴史を歩むようである。
ヘヴィサイドを語るとき、演算子法とともに落としてはいけない話に電話回線のことがある。19世紀の後半、電話が発明されてしばらくは都市内での利用に限定されていたからいいものの、都市間での利用が要求されてくると大問題が電話会社を悩ました。伝送距離が長くなると、減衰問題よりも信号の歪みが重要課題であることが分かってきたのである。当初、この問題は静電容量の問題であるという説が唱えられたが、この説にかみついたのがヘヴィサイドである。
問題の本質はインダクタンスであると、喝破したのである。彼の数学がそれを証明していたのである。この発明でヘヴィサイドは大金持ちになる運命にあったのだが、企業の狡猾な特許対応に彼はしてやられた形になった。また、これには、ヘヴィサイドが貧乏にもかかわらず、金には無頓着であった性格もあずかっていた。
こんなにも貢献があり(後には、電離層の存在も予言している)、さぞかし、ヘヴィサイドは数々の栄誉を受けて(事実、第1回目のファラデー賞受賞や王立協会会員に選出される)、栄光ある人生を送ったと誰しもが思うであろう。
だが、現実は違った。ヘヴィサイドは子どもの頃、しょう紅熱に罹り強度の難聴になってしまった。この不幸が後々の彼の人生に大きく影を落としたことは想像に難くない。性格がつむじ曲がりになり、人との付き合いも避けるような一生になってしまったのである。長じては口が悪くなり、執拗な性格にもなったようだが、しかし、彼は正直で勇敢で、なによりも金には恬淡とした貧乏な人生であった。晩年は家族とも友人とも弧絶した隠遁生活を送った。
イギリスには、独学で数学を学びながらも歴史に名を残すほどの天才がときおり出てくる。グリーン関数、グリーンの定理で有名なグリーン(Green;英1793-1841)もそうであった。
ヘヴィサイドの数学は19世紀後期の数学界での発見では3本の指に入ると言う人もいるそうだ。
2006年8月 記