FEMINGWAY 〜有限要素法解析など構造設計にまつわる数理エッセイ〜

第17話 4千万via5億

冒頭からクイズのようになりますが、「1mという長さは北極から赤道までの子午線の長さ1万kmを1千万分の1にしたところから生まれましたが、すると地球一周が4万kmになるわけです。しかし、ほんとうにジャスト4万kmとうい数字が信用できるのでしょうか?全く端数が存在しなかったのでしょうか」という問題です。読者の皆さん、いかがでしょうか。もちろん、地球の形状を完全な球体と仮定した上での話ですが。

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答えはYESです。エッ、と思われる方もおられるかもしれませんが、質問文のなかにトリックが入っていますよ。そもそも、1mという単位を定義するのに、測った長さが1万km (あるいは4万km)といまだ未定の単位であるメートルを使用してしまっています。実はメートル法が採用される以前の別の尺度で測った1/4子午線の長さを1千万分の1した長さをもって定義したものが1mなのです。ですから、地球一周は当然4万kmになるわけです。ただし、これは、世界の度量衡の歴史上でメートル法が採用され始めた当時の1mであり、現在のメートル定義長との比較では、1mに対して0.2mmほど短いそうです。

現代科学が採用している、原子時計で測ったある瞬間の時間内に光が真空中を進んだ距離を以て1mを定義している、という話はあまりに科学的過ぎて味も素っ気もないですね。しかし、メートル法誕生時の背景物語にはロマンがありました。

今から200年とちょっと昔、18世紀も終わりに近づいたフランスでメートル法誕生の物語が始まりました。この当時は、言わずと知れたフランス革命の時期であり、この大混乱期の中、よくぞ度量衡の変革がなしとげられたものだと不思議な感じも持ちますが、考えて見れば、革命期だからこそ、アンシャンレジームの崩壊と新制度の統一化が望まれたのでしょう(と言ってしまえば、度量衡で一挙にメートル法が普及したかのように思いますが、実際は、フランスでも一度、廃棄された後、再生したという歴史があります)。

フランス革命期の歴史物語は、西洋史の中でも1、2位を争うぐらいの面白さがあるのではないでしょうか。一軍人から皇帝へ登りつめたナポレオンはもちろん、辣腕の外交官タレーラン、変節漢フーシェと名うての役者たちが登場する1800年前後の数十年のフランス史は興味津々ですね。これは、筆者の個人的感想ですが、この当時のフランス史の面白さは、日本史でいえば、太閤秀吉の死去から大阪夏の陣で大阪城が落城するまでの歴史物語の面白さに迫るものと感じます。

さて、フランス革命期の科学史も政治史にも負けていない面白さを持っています。ここでは、メートル法がテーマなので、それに絞って話を少し続けます。メートル法誕生が革命期と時期を同一にしていたので、王朝を倒した共和政府がメートル法の採用に向けて行動したのかと思えば、さにあらず。実はギロチンの露と消えたルイ16世の時代からプロジェクトは決定していたそうです。口火を切ったのは、なんとあのタレーランというではないですか。

その当時まで、フランス国内では、各領土でまちまちの度量衡が使用されているありさまで、その不統一につけこんで利益を蒙っていた輩も多くいて、なかなか度量衡の統一ができなかったフランスの歴史がありました。ブルボン王朝末期にいたって、やっとこさ度量衡の統一化の運動が始まり、その原点として、まず長さの基準を決定しようということになりました。

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さあ、これからがメートル法誕生の物語が始まったわけです。物語の登場人物も多彩でした。本エッセイシリーズに既に登場してもらった人たちもいます。「天体力学」で有名なラプラス(“理系夜話”第11話参照)、有名な数学者ルジャンドル(同第2話参照)、アンシャンレジーム下で徴税請負人も務めていたためギロチン台に載せられてしまった化学者ラボアジェ、さらには皇帝ナポレオンまで登場してきます。

当初、周期1秒を持つ単振り子の糸の長さで以て1mと決定する案もあったようですが、観測位置での緯度の違いで重力加速度の値が違うことや(これについては、北緯45度の場所で観測する案が有力でした)、温度差による糸の伸び縮みの影響を考えて廃案された経緯がありました。最終的には、パリを通る子午線の長さを測って、地球1周の長さから単位長の大きさを決定する案に落ち着きました。実際には、地球を1周するわけにはいきませんので、フランス北部の港湾都市ダンケルク(第二次世界大戦時の連合軍の撤収地で有名ですね)とスペイン領域のバルセロナまでの間、約1,000km近くの距離を測定して、北極から赤道までの1/4子午線の長さを割り出す方法をとりました1

子午線測量のミッションには、ドゥランブル、メシェンという二人の天文学者が選ばれて、それぞれ北側と南側に別れて派遣されました。7年近くの間、三角測量に従事した二人ですが、革命期という混乱時代のため悪戦苦闘したミッションでしたが、なんとかやり遂げたようです。この間、メシェンの方は一度も家族がいるパリには戻らなかったそうです。

ところで、先に1mを決めるのに、振り子案を退けた理由を述べましたが、実はもっと深い理由があったのです。フランス政府は、メートル法の採用を単に自国内だけに留めず、広く世界中に普及させたいという思いがあったようです。振り子案では、あまりに簡易に出来てしまうため、権威づけるには物足りない方法だったのです。威信をかけた国家的プロジェクトがほしかったというのが真情だったみたいです。これには、経度の原点を、何かと競いあうイギリス国のグリニッジ天文台に持っていかれた反撃の意味もなかったと言えば嘘になるのではないでしょうか。

話の締めくくりとして、面白い話を一つ。

19世紀の半ば、フランスの対抗国イギリスでもメートル法の採用が取りざたされるようになりました。ところが、頑なに反対する科学者たちが結構いました。その先頭が、天文学者ジョン・ハーシェル卿(反射望遠鏡の創始や天王星の発見で有名なウィリアム・ハーシェルの子)でした。彼が言うには、あやふやな子午線距離よりも、北極と南極をつなぐ地軸の長さを基準とすべきと言うのです。たしかに彼の案には、説得力ある数値が出てきます。地軸の長さは、なんと500,500,000インチというではないですか。この数字はちょっと魅力的ですね。それで、ハーシェルは少しの調整でインチ法こそ採用すべきと言っていたそうです。これでは、まさに4千万対5億の戦いですね。

メートル法反対論者側には、本エッセイシリーズの登場人物たちもいますよ。ハーシェル同様、有名な天文学者エアリー(“理系夜話”第60話参照)に機械、土木両面で活躍した工学者ランキン(同第22話参照)がそうです。ケルビンはメートル法賛成者だったようです。

事程左様に度量衡の変更というのは、古今東西、簡単にはいかないものです。近い例では、わが日本でも見られましたね。SI単位系の採用を巡って、頑固に重力単位系を固持する工学分野の学者、技術者がいましたよね。

2012年1月記

  1. もちろん、地球の形状が球ではなく、赤道側にほんの少し膨らんだ回転楕円体の形状であるという知識は当時既に知られていました。ところが、この測量プロジェクトにおいて、さらに1本の子午線にも凸凹があることが発見されました。すなわち、任意に取った2本の子午線間には長さの違いがあることが発見されたわけです。 []

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