FEMINGWAY 〜有限要素法解析など構造設計にまつわる数理エッセイ〜

第32話 回転をめぐる先輩・後輩

今年(2005)4月25日に起こったJR 西日本宝塚線の痛ましい惨事が記憶に生々しいですね。事故直後の調査報告にレールサイドの傷跡という報道がありました。これを聞いたとき、筆者はまっさきに車輪のジャイロ効果に思いを馳せましたが、その後、脱線の直接の原因とは関係ない話のためか、新聞各紙には傷跡に関してほとんど触れられていませんでした。

ジャイロ効果というのは、もちろんジャイロスコープからの用語で、走っている自転車の車輪が何かの要因で横に倒れようとすると、車輪が鉛直軸回りに回転する現象を経験しますが、あの現象のことです。

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回転体を倒そうとするトルクが働くと、その回転体には回転ベクトル(回転軸方向)とトルク軸ベクトルという2方向ベクトルの外積方向を軸として回転しようとしますが、これがジャイロ効果です。この回転を“プレセッション”と言うらしいです。何のことはない、コマの軸の揺れる運動を“歳差運動”と呼ばれますが、この歳差も英語でプレセッションというようです。

冒頭のレールサイドの傷跡も、倒れようとした車輪がレールと直角方向に回転しようとして傷をつけたのではと筆者は想像してみた次第です。

ところで、ジャイロスコープの発明者で名付け親でもあった人はフーコーとのことです。地球の自転を証明する有名な実験であった、あの“フーコーの振り子”のフーコーです。この実験の翌年の1852年に彼はジャイロスコープを使って、やはり地球の自転を証明しようとしたらしいです。だが、そのときはコマの動力の点で問題があり失敗に終わったようです。

フーコーの振り子はもっぱら地球の自転を証明した実験ということで人口に膾炙しています。たしかに結果的にはそうなのですが、実はこの実験は、直接には彼の大先輩であるコリオリ(Coriolis;仏1792-1843)が1835年に発表した“コリオリの力”を証明しているのであります。

コリオリはかの有名なフランスの数学者コーシーの影響で科学分野に身を投じ、応用力学の分野で熱心に研究と教育を続けた人のようです。彼は力学を数学的に捉えることに努めた人で、今日、力学で使用する“仕事”という概念も初めて明確に定義したのはコリオリだということです。

各種の座標系での物理量の振る舞いを研究している中で、後年、コリオリの力と呼ばれる仮想力を発見しています。ただ、地球の回転角速度が小さいゆえ身近にコリオリの力を体験することがないため、なかなかそれが立証されていませんでした。そういう時代背景があった後のフーコーの振り子の登場だったわけです。

余談ですが、コリオリの力の源泉となるコリオリの加速度の式(下式参照)を眺める度に、筆者は荒唐無稽な連想をします。もし、地球が球体ではなく円筒体であったなら、赤道(円筒体で赤道というのもおかしいですが、仮に円筒中央部として)から上下にある極方向に動こうとする海流なり気流には全くコリオリの力は働かなくて真っ直ぐ進むことになります。

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以前、“世界がもし100人の村だったら”という本が話題になったことがありますが、“地球がもし円筒体だったら”という本を誰かその方面の物理学者が出版してくれないだろうか、と筆者はひそかに思っています。われわれの知り得る物理現象がどう変化するか興味津々ですね。

閑話休題。フーコーに戻ります。

フーコー(Foucault;仏1819-1868)は、当時のフランスで群がるように湧き出た数学・物理の天才たちの中では少し異色の存在でした。生まれた時からの病弱さで学校へも行かず家庭で勉強したといいます。したがって、物理学者として必須の数学教育も受けていない独学の人でした。

後年、科学の歴史に名を残す実験物理学者としての生涯を決定付けた要因は、元来、勘が鋭く手先も器用であったことによるようです。光に関して興味を持ち、写真術に長けていたことが、そして、何よりも後年、光のドップラー効果の発見など光学分野で名を残すフィゾー(Fizeau;仏1819-1896)との交友を得たことが科学分野へのデビューのきっかけとなりました。フーコーとフィゾーは、世界で初めて明確な太陽の写真を撮ったそうです。その後も、二人して光速度測定の実験にも成功しています1

フーコーの振り子の着想も元々、光の研究時における時計の考案から出ているらしいです。それにしても驚くのはフーコーの器用さです。パリのパンテオンに吊り下げられたという長さ67mの振り子、単振り子の角振動数と振動面が回転する角振動数はそれぞれ理論的には下の式となりますので、パリの緯度、約49度などの数値を代入して計算すると、振動面が1回転する約32時間の間に約6,970回、振り子が振れていることになります。空気抵抗もあれば、支点部での摩擦もあるでしょうに、よくも止まらずに振れた振り子をぶら下げたことでしょうか。

フランス革命の前後に生を受け、ともに幼少時から一生病弱であったため、これまた、ともに50歳前後という若さで世を去ったコリオリとフーコー、地球が回り続ける限り、二人の名は忘れられないことでしょう。

2005年7月記

  1. 当時のフランスの科学界では光の粒子説と波動説の論争があり、フーコーは水中での光速が空中よりも遅くなるという単独実験に成功しており、光の波動説派が軍配を上げることにも寄与しています(姉妹エッセイ“有限要素法よまやま話”26話にあるヤングの話参考)。 []

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