FEMINGWAY 〜有限要素法解析など構造設計にまつわる数理エッセイ〜

第28話 ゲッチンゲンの人々

コンピュータのハード/ソフト両面の進歩を背景にして、われらが有限要素法も、適用される問題の規模がますます増大している。1CPU のパソコンで数十万メッシュの解析ができる時代になると、全体剛性マトリックスを係数マトリックスとする連立方程式の解法において、メモリを多く必要とする直接法では歯が立たず、反復法が俄然有利になってくる。そんなことで、このところ前処理付き共役勾配法がずいぶん人気者になっている。俗に、PCG(PreConditioning Conjugate Gradient)法といわれる反復法である。

PCG 法を解説した数学書をひも解くと“M 行列”という用語によくお目にかかる。M行列というのは、剛性マトリックスのような係数マトリックスを仮に A とすると、A-1 が存在し、かつ、下の条件が成立するマトリックスをいう。

A-1>0(各成分が非負)

Aij≦0 (i≠j

28-a

ことさら、M 行列といわれるのにはもちろん理由がある。PCG 法の中でも、前処理に不完全コレスキー分解法(ICCG 法)を使う一番人気の手法では、係数マトリックスの分解過程での対角項の正値維持が必要である。M 行列だと、これが保証されるので好都合なのである。すなわち、安定的に不完全コレスキー分解法が可能となるのである。差分法を適用した流体問題で M 行列はよく現れる。ところが、残念なことに固体力学に適用する有限要素法では M 行列とはならない。

ところで、筆者は M 行列の M の由来が常々気になっていて、ある時、知り合いの数学の先生に聞いたことがある。そうしたら意外な答えが返ってきた。ミンコフスキー(Minkowski)の M と聞いているという返事だった。

ミンコフスキーと聞いて、すぐさま数学者を思いつく人はアインシュタイン関連の本をよく読んでいる人であろう。相対性理論が発表されると、すぐさま4次元時空間の数学理論を組み立てたのがミンコフスキー(Minkowski;独1864-1909)である。

ミンコフスキーはロシア生まれであるが、ドイツの大学を転々とし、若い人生の最期をゲッチンゲン大学で終えた。45歳という若さであった。

ミンコフスキーが亡くなった同じ年、同じくゲッチンゲン大学にいた一人の有能な数理物理学者も亡くなった。工学分野の人たちにもおなじみのレイリー・リッツ法のリッツ(Rirz;瑞1878-1909)である。分光学の分野で活躍した人であった。ところで、このリッツも31歳という若さで亡くなっている。そういえば、ゲッチンゲンの偉大な数学者だったリーマン(Riemann;独1826-1866)も40歳で亡くなっている。

そんな訳で、ゲッチンゲンは偉大な数学者が夭折する所だったと思いたくもなるが、世紀の変わり目をまたいでゲッチンゲンに君臨したクライン(Klein;独1849-1925)は76歳で亡くなっているし、ヒルベルト(Hilbert;独1862-1943)は81歳であるからそんなこともない。

クライン、ヒルベルトがいた頃のゲッチンゲンには、当時としては珍しい応用数学の数学者もいた。微分方程式の数値解法で有名なルンゲ・クッタ法のルンゲ(Runge;独1856-1927)である。そして、後にそのルンゲの娘を妻に娶ることになる一人の有能な若者がゲッチンゲンにやってくる。不幸なナチスの台頭までの一時期、ゲッチンゲンを背負ったクーラント(Courant;独1888-1972)である。有限要素法とも関係の深い彼のことは次回にお話ししよう。

2004年8月 記

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