FEMINGWAY 〜有限要素法解析など構造設計にまつわる数理エッセイ〜

第23話 熱から生まれたフーリエ級数(1)

別に有限要素法に限った話ではないが、初めて熱伝導解析を試みようとする人は2つの係数の存在に戸惑うようである。応力解析では物質の種類が決まれば、場所に依存しない係数を用意すればいいのに(すなわち、弾性定数)、伝熱解析では物質の内部と表面でそれぞれ別のものを用意する必要がある。

今日、熱伝導係数、熱伝達係数と呼ばれている内部的、外部的係数が熱の伝導問題には必要だと言い出したのは、どうやらフランスの物理学者ビオ(Biot;仏1774-1862)であったらしい。この名前、読者はどこかで聞いたことがないですか。そう、高校物理で出てきた“ビオ・サバールの法則”のビオである。電流が磁石に及ぼす力の法則であった。

ビオからの手紙に触発されて、昔、自身が手がけていたにもかかわらず、途中で放置したままになっていた熱伝導問題に再び着手したおかげで、この分野の初期の第一功労者として崇められることになったのがフーリエ(Fourier;仏1768-1830)である。

話は変わるが、17世紀から始まる西欧での数学、物理のすばらしい躍進の歴史を見せつけられると、一部の例外はあるにしても、科学の才能は高緯度の冷涼な地域にて生まれるものだと筆者は思っていた。クーラーも無い、うだるような暑さの下では、考え事など出来るものではないという体験からへんに納得していたものだ。ところが、この逆の考えを持っていたのがフーリエらしい。

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ナポレオンのエジプト遠征のとき、彼も科学好きのナポレオンに同行を命じられた。初めての異郷の地でフーリエはエジプト文明に心打たれることになる。偉大な文明は炎暑の土地でしか生まれないという信念まで持つに至る。そして、この地での生活体験から奇癖を母国へ持ち帰ることになる。以下、森毅氏の“異説数学者列伝”で紹介されているフーリエの話である。

「エジプト時代からの習慣から炎熱の中で思索する奇癖ができて、これがだんだんひどくなり、真夏でも部屋を締め切って体には包帯を巻きつけて、やっとユークリッドなみの思索が可能となった。そんな環境で考え出されたのが熱の理論だという」

何だか信じ難い話だが、ここでいう、熱の理論は1822年に“熱の解析的理論”として発刊された本である。これが19世紀の科学を代表する記念的書物になるとは、当の本人も予想だにしなかっただろう。熱伝導を表現する偏微分方程式の解法から生まれたフーリエ級数が、広大な応用範囲を持つことが知られたからではない(これについては次回で話す)。むしろ、数学が厳密ではないと、フーリエの理論は純粋数学者たちからは散々に批判されたのである。

フーリエの数学が刺激となって、「連続とは何ぞや」、「積分とは何ぞや」、「関数とは何ぞや」と、同時代の数学者と後に続く数学者の研究方向をこの方面に向かわせることとなったのである。これが、数学の大きな一分野となる“解析学”である。

フーリエの数学を批判した側の数学者にはラプラス、ラグランジュ、ルジャンドル、いわゆる3L(“理系夜話”第1話参照)であり、刺激を受けて解析学の歴史を彩った数学者にはコーシー、ディリクレ、ワイエルシュトラス、リーマン、カントール、ルベーグがいた。これだけの錚々たる数学者を動かしたのがフーリエの“熱の解析的理論”であった。

2003年11月 記

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