FEMINGWAY 〜有限要素法解析など構造設計にまつわる数理エッセイ〜

第2話 逢坂山

山科駅を出た電車が次に止まる湖西線の駅は大津京駅(昨年[2008年]、従来の西大津駅より改名)です。したがって、このまま湖西線を進むと本エッセイは滋賀県の県都である大津市の玄関を無視してしまうことになります。

ただでさえ、大津市という所は目立たない県都であり、全国の県庁所在地の中でも地味ランキングを取れば、間違いなくトップクラスに入ること請け合いの所です。筆者は以前1年半住んでいたこともあり、名誉挽回の一助に今回と次回の2話で大津市を舞台にしたお話をしてみたいと思います。

 

京都市・山科から滋賀県・大津市に入るのに、湖西線でもあるいは東海道線で大津駅行くにしても、電車はトンネルに入ってしまいます。だから、この辺りの語るべき風景は何もないように思われますが、それは大間違いです。

山科、大津間には逢坂山という山があり、古来より交通の要所でした。ここがいかに交通の要所であったかは、現在の地図を見ればよく理解できます。JR線のほか、国道1号線、名神高速道路、それに京阪電車が一堂に会しています。京都・南禅寺に行かれたことのある読者は、煉瓦造りの有名な琵琶湖疎水橋があったのを覚えておられるでしょうか。あの琵琶湖疎水は逢坂山の少し北側にある長等山の中を走っています。

逢坂山を走る今の国道1号線のある道は、大昔からメインストリートでしたが、坂の勾配に行きかう牛馬車は難儀したといいます。江戸末期、花崗岩で舗装されたそうですが、これが日本で最初の舗装道路だとのことです。

大化の昔、峠には“鈴鹿の関”、“不破の関”ともども天下の三関とうたわれた“逢坂の関”が設けられました。古来、京から東国へ向かう旅人は不安に駆られ、逢坂の関を特別な思いで通過したといいます。平安初期、逢坂の関近くに庵を結び、旅人に琵琶を奏していたという盲目の法師がいました。

 

唐突に話は変わりますが、筆者が子供の頃、“坊主めくり”という百人一首の絵札を使った遊びがありました。電子ゲームがあふれている今日の子供たちからは、バカにされるかもしれない誠に素朴な遊びでした。絵札を裏返しにして重ねた束から、各人が1枚ずつ取っていき、坊主が出たらそれまで貯めていたすべての札が没収されるルールでした。気の毒な事に、この嫌われ役の一人にされていたのが、逢坂山に住んでいた“蝉丸”という法師です。筆者の記憶では、何人かの坊主の中でも蝉丸が一番嫌われていたのではないでしょうか。

当時の大人が少しでも蝉丸のことを弁護していれば、理不尽な蝉丸への感情も薄らいだのではと思いますが、それが無理なことだったことは、大人になって分かりました。実は蝉丸のこと、歴史家にもほとんど何も分かっていないとのことです。ただ、百人一首に残る、この有名な歌だけという伝説上の人なのです(今は、国道1号線近くに“蝉丸神社”というのがあります)。

これやこの行くもかえるも別れては
知るもしらぬも逢坂の関

昔、逢坂の関からは、間道として大津へ入るもう1本の道があったそうです。そこを通るのを、“小関越え”といったそうで、俳人松尾芭蕉も近江へ行き来するのに利用していたとのことです。高校の国語教科書に、

山路来て なにやらゆかし すみれ草

という芭蕉の句がありましたね。この句は、この小関越えの際の句だそうですよ。芭蕉の名が出たついでに、大津市にある芭蕉ゆかりの寺も紹介しておきましょう。

JR大津駅の東隣の駅が膳所駅です。京阪電車の駅もあります。“ぜぜ”と読みますが、これは、天智天皇の近江京の時代、朝廷に納める魚の調理をしていた処から由来しています。大阪市出身の筆者にも昔、膳所高校という滋賀県内の代表校でその名が聞こえていました。

膳所駅近くに(大津駅からでも、さほど遠くないです)、義仲寺という小さな寺があります。名からして、木曽義仲に関係するとすぐ想像できると思いますが、事実そうなのですが、読みは“ぎちゅうじ”といいます。京を追われた旭将軍、木曽義仲が当地で敗死し、彼を追った愛人の巴御前が義仲をとむらって建てた草庵が始まりといいます。

遠く源平の時代の義仲に特別の思いがあったのかどうか、芭蕉はよく義仲寺を訪れていたそうです。有名な「旅に病み、夢は...」の辞世の句を残した芭蕉終焉の地は大坂・南御堂でしたが、遺言で義仲寺に葬るように願ったそうです。よほど、義仲寺を気に入っていたようですね。

義仲寺を訪れると、木曽義仲の墓と隣り合わせのように芭蕉の墓があることが見つけられます。その光景にぴったしの次の句碑もありますよ。

木曾殿と 背中合わせの寒さかな

この句、句風からしててっきり弟子の榎本其角の句、あるいは芭蕉自身の句と勘違いされていることが多いようですが、実際は又玄(ゆうげん)という伊勢の俳人の句とのことです。

 

読者諸氏には、おそらく地味に感じられていると想像できる大津ですが、実は歴史満載の地なのです。大津のことを語りだすときりがないので、もう1話を次回にまわすとして、ここはこれで打ち止めにさせていただきます。

2009年2月 記

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