FEMINGWAY 〜有限要素法解析など構造設計にまつわる数理エッセイ〜

第3話 意外な暗殺秘話二つ

のっけから物騒な話題の暗殺話で申し訳ないですが、まあ、未遂に終わったことでもあり、なによりも対象となったのが全く意外な人物なので、昨年(2009年)仕入れた話を読者の皆さんについ話してみたくなりました。

普通、暗殺対象となる人物といえば、政治家や富豪の事業家がターゲットになったりしていましたが、ここで紹介するのは、かたや映画界、かたや物理学界という、暗殺話とはどう考えても縁のないような人物なのです。しかも、両者ともその世界ではスーパースターですから、なおさら驚かされます。

 

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まずは映画界のスーパースターから。大野裕之氏著の“チャップリン暗殺”という本があります(この本を筆者が入手するまでにちょっとした経緯がありまして、話の最後に付加しておきましたから、ご関心ある読者はついでに閲覧ください)。大野氏は演劇界ではよく知られる劇作家のようです。一方で、かなりチャーリー・チャップリンに入れ込んだ人で、チャップリン(Chaplin;英1889-1977)の研究事績では世界的な存在だそうです。日本チャップリン協会の会長でもあるそうです。そんな会があるなんて、おもしろいですね。

さて、以下の話はこの本からの引用なのですが、チャップリンは結構、親日家であり、生涯に4度も来日しているそうです。その最初の来日というのが、世界一周旅行の途次で、昭和7年5月14日午前に神戸港に上陸したとのことです。歓迎で沸きかえる群衆の中をかいくぐるように、汽車に乗り換え、東京へ向かいました。東京駅に着いたのが、午後9時半ごろ。宿泊地の帝国ホテルに入る前、秘書の奇策で、車を皇居前に止め、事情が分からないチャップリンに対して皇居に向かってお辞儀させたというエピソードがあるそうです。右翼の目をごまかすための策だったといいます。

そして、翌日すなわち、昭和7年5月15日といえば、少し日本の近代史に知識がある人はピンとくるはずですが、そう、5.15事件の勃発した日なのです。犬養毅が銃殺されたのは、この日の夕刻なのですが、実は、チャップリンは犬養首相にこの日開かれる首相官邸でのパーティーに招待されていたのです。しかし、チャップリンは招待を断わり、その時、相撲見物に行っていて、事なきを得たのです。実際、事件首謀者の当初の計画の中には、チャップリンの暗殺も入っていたということです。

実にきわどいすれ違いですね。もし、ここでチャップリンが暗殺でもされていたら、あの名作、“モダンタイムス”も“独裁者”も我々は見られない歴史になっていたのです。自分への暗殺計画を知ったチャップリンですが、それでも、その後3度も日本に来ているのですから、よほど日本が気に入っていたのでしょうね。

 

次は物理界の巨星の一人の暗殺話です。この話の元ネタは、女性宇宙飛行士の向井千秋さんのご主人で、ちょっと変わった風貌でよく知られている向井万起男さんが新聞に掲載しているコラム記事です。向井さんは、医学分野に身を置きながら、大の野球好きのようです。特にメジャーリーグ狂のようで、メジャーリーグのことにたいへん造詣が深いのです。平成22年1月現在、朝日新聞夕刊の連載コラムに向井さんのメジャーリーグ知識がふんだんに掲載されています。

その中の一話に、“ハイゼンベルグ暗殺計画”という驚嘆する話が紹介されていました。大物理学者とメジャーリーグという組み合わせ、しかも暗殺が絡んでいる突拍子もない話とは、以下の通りです。

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戦前、ボストン・レッドソックスの捕手だった人で、モー・バーグという選手がいたそうです。球史に名を残すような大選手ではなかったようですが、それでも15年間ほどメジャーリーガーとして過ごしていますので、それなりの能力を備えた選手だったのでしょうか。

野球選手としての実力よりも、バーグの特筆すべきことは彼の頭脳です。名門プリンストン大学出で、非常に頭脳優秀だったとのことです。多くの外国語に堪能であるうえに、選手生活中に弁護士資格を取ったといいます。シーズンオフには、弁護士活動もしたというのですから、全く驚嘆ものです。彼の知性が、球界を引退した後、情報機関に導き、スパイとなって大物理学者に近づけたとも言えますね。

さて、第二次大戦末期、米国では史上有名なマンハッタン計画が遂行中で、原子爆弾の開発が進められていたことはよく知られていますが、一方、政府、軍部筋では、敵国ドイツでも原子爆弾が開発されることに非常に危惧していました。ヒトラーのナチズムから逃れるため、多くの知の巨人たちがドイツ圏を離れていましたが、まだドイツには物理の巨人ハイゼンベルグがいました。米国では、彼の存在を恐れて、暗殺計画を立てたそうです。

講演のため、ハイゼンベルグがドイツを離れてスイスに行くことを察知した米国は、バーグをスイスに送り込んだといいます。ハイゼンベルグの講演を聞いた後、バーグは夜道をハイゼンベルグと会話しながら歩くところまでは成功したようです。しかし、世界史にとって非常によかった結末は、バーグはハイゼンベルグに向けてポケットに忍ばせていたピストルを撃たなかったことです。ハイゼンベルグの話を聞いて、ドイツではとても原子爆弾を開発するどころではない状態をバーグは理解したからでした。

当時の米国がドイツでの原子爆弾開発に戦々恐々としていたというのは、近代物理学史などの書籍ではよく見かける話ですが、こんな裏話があったなんて、全く驚きですね。それにしても、知性派の元メジャーリーガーと物理界の巨人との暗殺話なんて、なんだか映画ドラマを見ているようですね。

#おまけにモー・バーグに関する怖いエピソードを

モー・バーグについては、真偽のほどは分かりませんが、日本人にとってとても無関心でおられないエピソードがあります。ついでだから紹介しておきましょう。

昭和9年(1934)読売新聞社から招かれたメジャーリーガーがやってきて、第2回日米野球戦が行われました。この時の来日の一行の中には、野球界の大スターであるベーブ・ルースやルー・ゲーリッグがいたので、超豪華メンバーだったのですが、モー・バーグも参加していました。日本選抜チームの16戦全敗という中で、静岡県・草薙球場で行われた試合だけは特筆すべきで、ゲーリッグに浴びたソロホームランのみの失点という沢村栄治の快投ぶりがときおりテレビで紹介されるので、わりと有名な日米野球の年だと思います。しかし、この日米野球戦の裏で、モー・バーグの不可解な行動まではあまり知られていないのではと想像します。

突如、ある試合を欠場したモー・バーグは、東京の聖路加国際病院に足を向けました。表向きは、知人の見舞いということでしたが、実際には病室には行かず病院の屋上に直行したといいます。そして、隠し持っていた小型の映画カメラで、そこから見える東京の全景を撮影して帰ったということです。この時の映像が、のちの東京大空襲攻撃の際に利用されたというのです。モー・バーグの周辺にいた人間の弁によれば(もちろん、書物から知ったことですよ)、彼はほんとうにスパイだったようですね。

#“チャップリン暗殺”を手にするまでの余話

何年か前、筆者の住む京都市の街中にある、廃校となった小学校校舎に場所を借りたチャップリン展といった催しがありました。

面白そうだったので、筆者も観に行ったところ、ある一人の人物紹介の説明文に目が止まりました。チャップリンの秘書をしていたという日本人、高野虎一(こうのとらいち)という広島県出身の人の紹介文でした。チャップリンの秘書が日本人だったなんて、ちょっとしたトリビアものですね。チャップリン家にはたくさんの雇い人がいたそうですが、高野が秘書(最初のお抱え運転手から始まり18年間も秘書をしていました。チャップリンの全財産を任されるほど信頼されていた)をしていたころは、全て日本人だったそうです。

特に興味を惹かれた一文は、高野は明治18年(1885)生まれで、明治33年(1900)にシアトルへ渡ってからというもの、人生の多くを米国で過ごす人なのですが、一時帰国の際、バス事業に関係したという文章でした。筆者は昔、小学生だった長男の持つ本の中で、日本で初めて乗り合いバスが走ったのが、東京でもなく、大阪でもなく、なんと広島だという掲載文があったのを記憶していたものですから、ひょっとしたら、この日本初の乗り合いバスと高野虎一がつながるのかと推測したものです(結論は不明のまま)。

そんなことから、高野虎一という人物に関心を持ち、なんとかもっと人物像を知りたいと思ったものですが、手近に参照できるものもなく、そのままになっていました。それが、高野という名前も忘れかかっていた、昨年(2009年)の8月にその名に再会することができたのです。

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琵琶湖西岸をドライブ中-この辺りは比叡、比良山系の山々が障壁となって、ラジオの音声が入りにくい地帯なので、ノイズがなくきれいに入るNHK第二放送(教育放送)を選局しました。そしたら、なんと、ラジオの声から高野虎一という名前が出てくるではないですか。その時は必死に聞いていたのですが、なにしろ番組の途中でもあり、欲求不満状態だったので、帰宅後、さっそく番組を調べたところ、NHK第二放送のカルチャー番組で、大野弘之さんという方が講師でチャップリン物語を話されていた内容だったことが分かりました。当番組は、放送後に放送内容が出版化されていることが多いので、さっそくNHKに問い合わせたら、その予定はないといいます。週に一度、放送されるその番組も半分以上過ぎていたので、もはや万事休すかと思いましたが、ふと、大野さんの著作物があるのではと考えなおしました。そこで、書店に出向いて、本書を見つけたという次第でした。本書には、野心家高野虎一の人生が記載されており、筆者の欲求を少しは満たしてくれた書物でありました。

 

[追記]
平成21年も押し迫った12月、高野虎一の生涯を紹介した力作“チャップリンの影(講談社)”という本が、同じく大野弘之氏により出版されました。

2010年2月記

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