FEMINGWAY 〜有限要素法解析など構造設計にまつわる数理エッセイ〜

第56話 19世紀のプログラマー(子の巻)

前回、既にバイロンを死なせてしまいましたが、彼の人生を少し後戻りさせます。バイロンとアナベラとの不幸な結婚から1年後の別れの直前、アナベラはバイロンの子を生んでいます。この女児こそ、人類最初のプログラマーといわれた人で、その名をエイダ・オーガスタといいました。バイロンは生涯、何人かの女性に子供を産ませていますが、法的にはエイダが嫡子でした。その名が示すとおり、バイロンは義姉オーガスタの存在が大きかったのです。

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エイダ(Ada;英1815-1852)は子供時代から数学的なことに興味を示していますが、これは母親アナベラからの影響が大きかったのです。アナベラも独身の頃から数学に深く興味を持ち、バイロンから“平行四辺形の姫君”というネーミングでからかわれたりしています。

その母親からエイダは数学教育を施され、家庭教師にド・モルガンという有名な数学者をあてがわれたりしています。ありましたね、高校数学の集合のところで“ド・モルガンの定理”というのが。ド・モルガンは高潔な人で教育者としても優秀な数学者だったそうです。

エイダはその短い人生の中で、二度と詩人の父親と会うことはありませんでしたが、高名な二人の数学者とは知り合う幸運がありました。一人は、もちろんド・モルガンですが、もう一人は後世、“コンピュータの父”と呼ばれたチャールズ・バベジです。

バベジ(Babbage;英1791-1871)は数学者としては、数学理論の歴史に何かを残すという業績では何も残しませんでしたが、彼には科学者、発明家としての才能も並存しており、これが彼の名を不滅にした“階差機関(Diffrence Engine)”、“解析機関(Analytic Engine)”の構想を生むことになります。20世紀の数学、オペレーションズ・リサーチ(OR)の先取りをした論文もあったりして、彼は応用数学者でありました。

ただ、バベジにはユニークな業績が1つあります。学生時代から数学者仲間と“解析協会”なるものを作り、英国に頑固として残っていたニュートン流の微分記号を大陸のライプニッツ流のものに切り替える運動を起こし、実際、効果があったのです。すなわち、ドット(・)記号から“d -主義”に英国の数学を変えることに貢献したのです。

エイダとバベジの仲を取り持ったのは、解析機関という現在のコンピュータ原理の祖先でした。バベジは解析機関の前には、機械式で動く階差機関というものに私財をなげうち、また、政府からの助成金も仰ぎながら開発しようとしていました。これは、天文学や航海術の方面からの要請で対数表などの数表作成が期待されていたからです。当時の数表の精度といえば、正誤表への正誤表が出るというお粗末さの状況であり、この問題解決に階差機関を構想したわけであります。

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階差機関は階差式を利用して加減算だけで各種の関数値を求めようというものです。ただ、多才なバベジではあっても実業化としての才能がなかったため、開発途中で次から次へとアイデアを盛り込もうとしたものですから、この事業は失敗に終ってしまいました。

こんなことだから、母国では多くの非難を受けていた階差機関ですが、外遊先のイタリアのトリノで講演した、階差機関から俄然グレードアップした解析機関の構想が好評の結果を生みました。これを契機にフランス語で書かれた解析機関のアイデアを英語に翻訳しただけでなく、その注釈文が本文よりも多かったという翻訳書がエイダの手でなされたのです。解析機関の一番の理解者がエイダだったわけです。

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20世紀になって、エイダがプログラマー第1号と呼ばれるようになったのは、解析機関でベルヌーイ数という数学の展開係数の計算をしようとしたからだとも聞いています。一方、不幸な晩年、競馬狂となり、勝ち馬の予想に利用しようとしたからともいわれています。もし、そうだとするとコンピュータプログラムは、われわれが聞いている弾道計算から始まったのではなく、競馬予想から始まったという興味深いことになりますね。

エイダの若い晩年は悲惨でした。やはり父親の血を引いていたのか、既に伯爵夫人となり3人の子持ちとなっていたにもかかわらず、あるギャンブラーと深い関係になり、競馬狂となってしまいます。しかし、その数学的才能も馬の気まぐれに狂わされ、借金だらけの生活となります。しかも、子宮ガンを患い、その苦痛緩和にアヘンを使おうとしても、それを母親アナベラは許さなかったといいます。まことに、凄絶な死期を迎えたのであります。時にエイダ37歳でありました。

父親バイロン36歳、娘エイダ37歳だけではありません。実はバイロンの父親、すなわち、エイダの祖父も36歳で死んでいます。さらに、バイロンが義姉オーガスタに産ませた娘メドラも36歳の人生だったといいます。まるでバイロン一族の平均寿命は36歳のようであります。

エイダの名はその死後、世間では久しく忘れられていましたが、20世紀中葉、チューリングマシンや人工知能で有名なアラン・チューリングがある講演の中で、自国の先達者エイダのことを紹介してから一躍有名になったということであります。

2008年7月記

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