FEMINGWAY 〜有限要素法解析など構造設計にまつわる数理エッセイ〜

第3話 エントリー№8の超難問

ついに21世紀を迎えました(2001年当時)。不運にも筆者は新世紀を病院からスタートする羽目になってしまいました。検査入院で2週間ほど病室にいました。こういう時しか読めそうもない内容の濃い本を持っていこうと思って、自宅の書棚を物色していて絶好の本を見つけました。旧世紀の終わり近くに買っていた“虚数の話”です。

この本は米ニューハンプシャー大学で電子工学の教授をされているポール・J・ナーインという方が執筆されたもので、それを数学関係の本をよく扱っておられる好田順治氏が翻訳されたものです。原著者はかなりの量の歴史的文献を渉猟した後がうかがえ、虚数の歴史や興味深い虚数の応用例を堪能することができます。大学1年程度の数学レベルの知識があれば、「虚数の発見によって数学はかくも発展した」と言われていることを改めて実感できる好著であります。

この本の中で非常に面白い話を発見しました。しかも、本書の既に第1話で少し顔を出してもらったヒルベルト(Hilbert;独1862-1943)、第2話で登場しているハーディー(Hardy;英1877-1947)、そして今後、ところどころで登場を願うドイツの大数学者ベルンハルト・リーマン(Riemann;独1826-1866)の3人に
絡んだ話でもありますので、それを皆さんに是非、紹介しようと思います。

その話の前に準備知識として、知っておかなければ意味のない、数学界の背景をまず紹介します。1900年(偶然にもちょうど最短の2世紀前の時期)、パリで開かれた国際数学者会議でヒルベルトは、その後の数学の方向性を定めるような未解決の問題を提起しました。それは23題ありました。これが、世に言う、“ヒルベルトの23題”です。ついでに言いますと、第1話の主人公、高木貞治はその中の何題かを解決したと聞いています。

さて、その23題のリストの8番目にリストアップされたのが“リーマン予想”と言われている問題であります。

3-1

数学の世界では、今日に至るまで未だ解決されていない超難問がいくつか残されていることを読者諸氏もご存知のことと思います。英国の数学者ワイルズによって解決された有名な“フェルマーの大定理”も、1995年まではその1つでしたね。この定理が完全に証明された時(1回目の証明は欠点を指摘されて退けられている)、世界的な話題となったので皆さんもご記憶にあることでしょう。

たしか、日経新聞の科学欄でフェルマーの大定理の紹介とともに、残された問題としていくつかの未解決問題が紹介されていましたが、その中でも最難関の問題といわれているのが“リーマン予想”です。

リーマン予想を知るには、その前にゼータ関数を知る必要があります。ゼータ関数の原型はオイラーが創始した次の式のような関数であります。この式は専門の数学者や数学マニアがやっきになる、素数分布とも大いに関係があるとのことです。

3-2

オイラーの式の場合、変数は実数でありますが、リーマンはこれを複素数に拡張しました。リーマン予想というのはこのゼータ関数をゼロとする値、すなわち、複素根に関する推定であります。実はゼータ関数をゼロとする複素根は無限にあることは分かっているそうです。これを証明したのがハーディーだったのです。

ところで、ハーディーの証明のずっと以前、リーマンはその短命な生涯の中で、この解のすべては実部部が1/2に集中すると予想していました。すなわち、解の形式がすべて

3-3

になるというのです。これが“リーマン予想”といわれているものです。

これは高校数学で習った複素平面(ガウス平面)上では、解が横軸の目盛1/2を横切る垂直線上にあることを意味しますね。事実、スーパーコンピュータを利用した数値解析で可能な解のすべてはその通りであるといいます。だが、無限にある解の中に例外があることも無いことも、現在に至る天才的数学者たちの頭脳をもってしても誰も証明できないのだそうです。

ところで、皆さん、こんな問題、純粋数学者の頭脳パズルで実用面では何の価値もないと思われるでしょう。実際、数学の美しさのみを追求した純粋数学者のハーディーも生きている間はそう思っていて、ゼータ関数をこよなく愛していたといわれています。しかし、現在では溶鉱炉内の高温度のサイエンスにリーマン予想は関係していることを、筆者は別の書物で読んだことがあります。

さあ、これでリーマン予想の困難さは想像できたと思います。準備話が長くなりましたが、面白い話というのはこれからですよ。

リーマン予想に対するヒルベルト、ハーディーの両天才が取った言動であります。

ヒルベルトいわく。私が500年間の眠りについたとする。眠りから目覚めた時、私の第一声は「誰かリーマン予想を証明したか」と。

ハーディーの場合はもっと面白い話が“虚数の話”で紹介されています。ハーディーがデンマークの友人を訪れた際、英国までの帰りは荒い北海を小型船で乗り切らねばならない状況になったそうです。この時、彼は帰りの無事を祈って、友人に「私はリーマン予想の証明を持っている」と書いて郵送したそうです。もし、神がこのままハーディーを召してしまったなら、彼の偽の栄光が残ったままとなります。それで、神は彼を死なせはしないであろう、とハーディーは思ったといいます。この話を余計に面白くしているのは、彼が常日ごろ無神論者だったことにあります。

2001年1月 記

 

[追記]

過日、“ナッシュ均衡論”で名を成すも、精神を病んでしまった天才数学者ジョン・ナッシュ(J. Nash;米1928-)の苦悩の生涯とそれを支えた妻を描いた映画“ビューティフル・マインド”を観ていましたら彼の台詞に“リーマン予想”が出てきました。

映画はプリンストンの大学院生時代に博士論文として提出した“非協力ゲーム理論”が認められたナッシュが同時期、精神分裂症を患い、その後の現実と幻覚の間をさまよう苦難の生涯を描いた後、1994年、数学者としては初のノーベル賞(経済学賞)受賞という感動のフィナーレとなっています。ちなみに、この年は日本の大江健三郎さんが文学賞を受賞した年でもあります。

2002年5月 記

Advertisement

コメントを残す

ページ上部へ